時を隔てた二つの事件の点と線
時を隔てた二つの事件の点と線ここに二つの事件で、まず犯人が口にした言葉がある。「都衛生課のものだが、近所で集団赤痢が発生、そこの同居人が預金にきたので、進駐軍の命令で消毒にきた」(T刑事一代平塚八兵衛の昭和事件史」佐々木嘉信、新潮文庫)「巣鴨署から緊急連絡があり、支店長の自宅がダイナマイトで爆破されました。この車も爆弾が仕掛けられているとの連絡を受けています。車の中を見せて下さい」(『三億円事1橋文哉、新潮社)性質の似ている内容とは思わないだろうか。前者が一九四八年(昭和二十三年)に起こった帝銀事件,後者が一九六八年(昭和四十三年)に起こった三億円事件で、まず犯人が口にした言葉である。帝銀事件から三億円事件まで二十年も経っているが、二つの事件の内容を具体的に一つひとつ分析して見てみると、帝銀事件と三億円事件が,いくつかの類似点でつながるのがわかる。まず、帝銀事件の犯人は、都衛生課の職員を名のっており、三億円事件の犯人は、白バイ警官になりすましている。つまり、二つの事件の犯人は、「公務員」を名のったという点でつながる。さらに、帝銀犯人は「左腕に厚生省と書かれた腕章j"三億円犯人は「左腕に交通腕章」をつけており、「腕章」つながり。帝銀犯人は「予防薬と偽り毒薬を飲ませ)"三億円犯人は「爆発物と偽り発煙筒に点火」で「偽り」つながり。帝銀犯人は「現金と一部小切手、合わせて十八万千九百円を強奪」、三億円犯人は「現金輸送車ごと三億円を強奪」で「現金強奪」つながり。このような類似点は,単なる偶然ではない、と僕は見ている。実際、時を隔てたこの二つの事件には、このほかにも類似性が見られる。本書では、その謎に迫ろうと思う。話を進めるにあたって、事件のことを知らない人のために、まずは帝銀事件と三億円事件の概要について,説明しておくことにする。帝銀事件は、一九四八年(昭和二十三年二月二十六日、東京都豊島区の帝国銀行(現る。都衛生課職員を名乗る.東京都防疫班の白腕章を着用した中年男性が、厚生省技官の在の三井住友銀行)椎名町支店で、閉店直後の午後三時過ぎに発生した毒物殺人事件である。員と翔務貞1家の合計十六人に飲ませ、十11名を殺害。現金と小切手、合わせて十八万千を差し出し,近所で集団赤痢が発生したとの名目で,予防薬と偽った青酸系の毒を行実は、この事件の前に、類似の手口による未遂事件が11件発生している。一九四七年九百円が強奪された。(昭和二十二年)十月十四日、品川区の安田銀行荏原支店と、一九四八年(昭和二十三年)一月十九日、新宿区の三菱銀行中井支店だ。発生時刻はともに閉店直後の午後三時過ぎで、厚生省技官を名乗る中年男性によるものだった。そこで使われた名刺の捜査から、容疑者として浮上したのが画家の平沢貞通(五十六歳)。過去に銀行で詐欺事件を起こしたり,事件直後、被害総額とほぼ同額の出所不明の預金をしたりしていたとはいうものの、たった1枚の名刺で,平沢は逮捕されたのだ。取り調べでは犯行を認めた平沢だったが、裁判では一貫して容疑を否認。死刑判決確定後も再審請求を続け,刑が執行されないまま、一九八七年(昭和六十二年)、肺炎のため九十五歳で死亡した三億円事件は、一九六八年(昭和四十三年)十二月十日午前九時三十分頃,降りしきる雨のなか、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店から、東京芝浦電気(現在の東芝)府中工場へ工場の従業員のボーナス計約三億円(二億九千四百三十万七千五百円)を積んだジュラルミン·ケース三個を車で輸送中、東京都府中市、府中刑務所北側の学園通り(第一現場)で、警官に変装してニセ白バイに乗った犯人が、バイクに被せていたと思われるカバーを引きずったまま輸送車を追いかけ、停止を命令。「巣鴨署から緊急連絡があり、支店長の自宅がダイナマイトで爆破されました。この車も爆弾が仕掛けられているとの連絡を受けています。車の中を見せて下さい」犯人はそう嘘をつくと、銀行員たちを輸送車から降ろした。員たちはその場の雰囲気に呑まれてしまった。犯人は爆弾を探すふりをして輸送車の車体四日前に支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送りつけられていた事実があったため、銀行員たちを避難させた後、輸送車ごと現金を強奪。白バイをその場に残したまま逃走した。の下に潜り込み、隠し持っていた発煙筒に点火。「爆発するぞ!早く逃げろ!」と銀行場所まで移動させていると思い、感動していたが、バイクに詳しい銀行員が残された白バこの時、銀行員の一人は、勇敢な警察官が、爆発物を積んだ車をこちらに危険の及ばない