ご訪問ありがとうございます。
3もんです。
まずは遠くむかしの、子供時代からいきましょうか。
子供時代はそうですね…
小学生の時が一番友達が多かったですね。😅
男友達もいて、「こら〜!◯◯!!」とか言いながら、教室で追いかけ回すみたいな。笑
この頃はまだコミュ障ではなく、華やか系の姉とは付き合う友達のタイプが違うなぁと、うっすら思ってはいましたが、それでもわりと幅広めの人と関われてだと思います。
絵を描くのが大好きで、紙と鉛筆さえあれば生きていける✨ぐらいの勢いで。
当時の担任の先生が良い方で、大人しい目立たない人間だった私にも活躍の場を与えてくださり、新聞係としてマンガを描いてはみんなに見てもらってました。
今では凡凡人ですが、当時はわりと上手いと言ってもらうことが多く、唯一の自信のあるところでした。
好きな男子もいて、両思いの噂もあったりなどして、いま思えば幸せな時期だったと思います。
自分にも肯定感をもち、笑顔が多かった気がします。
母のことも大好きで、尊敬していたので、
母の言うことは間違いない!
やっぱり私の母は世界一!
とか、思ってましたね。
そんな幸せな日々でしたが、唯一嫌だったのは、母の知り合いが運営する塾に通っていたことでした。
というのも、今振り返ってもなかなかですが、
通信教育の問題をコピーしたり、どこの馬とも分からないチャラい兄ちゃんを公園でスカウトして講師させたり(その兄ちゃんが、できない奴の頭をスリッパで叩く笑)していたのももちろんでしたが、
なんていうんでしょう…滲み出る人間性というのか。。。子供ながらに嫌悪感MAXでした。
また、大人しい子どもだったのでつまらない子供ではあったと思いますが、中より上の成績だったので、その方にとっては塾の平均値を上げる都合の良い駒でした。
行くたびに嫌で嫌で、泣いて母に辞めたいと頼みましたが、母は知人のことを信じ切っているので聞き入れてもらえず、むしろキレられたという。
よしよし、当時のわたし😭がんばった。
数年後ようやく母がわかったようで、ようやく辞めることが出来ました。
今思えば、この頃から母の私に対する勉強への期待値が高かったのだと思います。
そこがベースとなって、中学時代は鬱の道へと足を踏み入れていきます。
あぁ、こわやこわや😅
3もんです。
まずは遠くむかしの、子供時代からいきましょうか。
子供時代はそうですね…
小学生の時が一番友達が多かったですね。😅
男友達もいて、「こら〜!◯◯!!」とか言いながら、教室で追いかけ回すみたいな。笑
この頃はまだコミュ障ではなく、華やか系の姉とは付き合う友達のタイプが違うなぁと、うっすら思ってはいましたが、それでもわりと幅広めの人と関われてだと思います。
絵を描くのが大好きで、紙と鉛筆さえあれば生きていける✨ぐらいの勢いで。
当時の担任の先生が良い方で、大人しい目立たない人間だった私にも活躍の場を与えてくださり、新聞係としてマンガを描いてはみんなに見てもらってました。
今では凡凡人ですが、当時はわりと上手いと言ってもらうことが多く、唯一の自信のあるところでした。
好きな男子もいて、両思いの噂もあったりなどして、いま思えば幸せな時期だったと思います。
自分にも肯定感をもち、笑顔が多かった気がします。
母のことも大好きで、尊敬していたので、
母の言うことは間違いない!
やっぱり私の母は世界一!
とか、思ってましたね。
そんな幸せな日々でしたが、唯一嫌だったのは、母の知り合いが運営する塾に通っていたことでした。
というのも、今振り返ってもなかなかですが、
通信教育の問題をコピーしたり、どこの馬とも分からないチャラい兄ちゃんを公園でスカウトして講師させたり(その兄ちゃんが、できない奴の頭をスリッパで叩く笑)していたのももちろんでしたが、
なんていうんでしょう…滲み出る人間性というのか。。。子供ながらに嫌悪感MAXでした。
また、大人しい子どもだったのでつまらない子供ではあったと思いますが、中より上の成績だったので、その方にとっては塾の平均値を上げる都合の良い駒でした。
行くたびに嫌で嫌で、泣いて母に辞めたいと頼みましたが、母は知人のことを信じ切っているので聞き入れてもらえず、むしろキレられたという。
よしよし、当時のわたし😭がんばった。
数年後ようやく母がわかったようで、ようやく辞めることが出来ました。
今思えば、この頃から母の私に対する勉強への期待値が高かったのだと思います。
そこがベースとなって、中学時代は鬱の道へと足を踏み入れていきます。
あぁ、こわやこわや😅