織田信長さまゆかりの万松寺 | 白木蓮のいとおかし日記  夏は夜

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 木蓮のいとおかし日記  名古屋神社仏閣 

 大須の 万松寺です 

今日は3つ目投稿(笑)

 織田家の菩提寺で 織田信長さまの 父上 信秀さまの墓所があります 

 また 名古屋のサブカルチャーの地の利を生かした 

 お寺らしくない 造り & イベントとう あります 

 
 
 パチンコ屋では ありませんよ  お寺です 
 
 龍までいます  お寺です (笑) 
 水まで 吹きます (*^-^*) 
 特別御朱印が 飾り付けされて インスタ映え~ 
 
 
 
 縁日には 金色の文字の 特別御朱印が出ます 
 この日は 9/28です
  お寺の向かって右ゾーン 信長さまの父上の お墓があります
  尾張の虎と 呼ばれた 勇猛果敢な お方 
  麒麟がくるでは 高橋克典さんが 好演していましたねー (*^-^*) 
  42歳の若さで 亡くなっちゃったのね 
 
 天文二一年(1552)三月三日信秀公が享年42歳で病死。葬儀は萬松寺で執り行われた。喪主は信長。 300人を数える役僧の読経の中で厳粛にとり行われる中、茶筅まきの髪に腰には荒縄の帯、長束の太刀と脇差と、葬儀にふさわしくない姿で現れ、いきなり仏前に進むと抹香を大きく手づかみにするなり信秀公の位牌に投げつけた。 このとき信長は18歳、周りから「うつけ者」と陰口を叩かれていた信長だが、この葬儀の振る舞いで更に噂が高まった。 しかし、これは隣国大名に「信長はうつけ者」との噂を真実と思わせ油断させるための計算された行動であったとする説や、緊張と父の死を悼む心が一度に溢れ、衝動から抹香をたたきつけるようにして涙を抑えたのが、乱暴であると列席の目に映ったと説く歴史家もいる。ネットより
 
 
 
 
 藤井聡太棋聖の地元名古屋ですので ぜひ そのツーショットで 見たいですね  
 万松寺へ行ったら ここもね 
 目のまえのカフェは ご住職のご親類が やってるそうです