闇之森八幡社(くらがりのもりはちまんしゃ)へ 行ってみた♪ | 白木蓮のいとおかし日記  夏は夜

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木蓮のいとおかし日記    名古屋神社仏閣編

名古屋市 中区 正木の 神社です 

 まみさまの 子供のころの 遊び場だったでしょうね 

 

ここは 以前  かつて月の光も漏れないと歌われたことから

闇之杜(くらがりのもり)と呼ばれた森の八幡社

と 呼ばれる かつての 古渡城西から と徒歩5分ほどです 

創建は 古い  平安後期になっっていますが 

 実は 熱田台地の西の端  この辺りは 歴史深いので 

下手すると 飛鳥時代までさかのぼるかもとのことです ネットより

 
 
 闇森八幡を一躍有名にしたのが、江戸時代中期の1733年に起きた心中未遂事件を描いた
「睦月連理玉椿(むつまじきれんりのたまつばき)」だった。
「名古屋心中」として知られる浄瑠璃で 有名になりました 
 
 
 
 番塀   道路から 本殿い 不浄なものが入り込まないように 壁です 
 本殿 
 
  裏の 鳥居 
左の常夜灯と鳥居の間を抜けると 拝観者用 駐車場もありますよ 
 

   鎧塚 (*^-^*) パティシエではありませんよ 
  源為朝は1139年に源為義(ためよし)の鎧が ほうのうされているといいます
  といっても ピンとこない 
  源頼朝の おじさんということです 
 

 尾頭神社 へーー 尾頭橋は ここから来ているのね 

 

黒龍 なんか めっちゃ強そうです

 

 

 

 遊女・小さんと日置の畳職人・喜八が、ここ闇森で心中を図り未遂に終わる。
 江戸時代、心中は大変重い罪とされ、たとえ生き残っても三日間さらし者にされて身分を奪われることになっていた。
 しかし、当時の尾張藩は第七代藩主の宗春の時代だった。江戸の将軍・吉宗の倹約を第一とする享保の改革(きょうほうのかいかく)に反対して芝居小屋や遊廓を建てたりして商業の活性化を推進した尾張名古屋の名物藩主だ。現在まで続く名古屋の商業、文化、芸術の基礎は宗春が作ったといってもいい。
 そんな宗春は、この心中未遂の話を聞き、三日間さらし者にしたあとは二人を親元に帰すように命じ、二人は結婚して幸せに暮らしたという。
 
 て 暴れん坊将軍では 悪ものですが 
 名古屋人にとって 殿様 徳川宗春さまは 超人気者ラブラブラブラブラブラブ 
 白い牛に乗り 長いキセルをくわえて 情け深い殿様 大好きですよ 爆  笑爆  笑爆  笑爆  笑爆  笑
 
 
 その昔植ゑにしきぎの年を経て月さへもらぬくらがりの森
 江戸時代にそう歌われたという闇之森。月の光も届かないくらい暗いというくらいだから、鬱蒼と生い茂る鎮守の杜だったのだろう。
ていうか 響き良いよね ~ 
 

 弁天池   弁天さん

こちらも 大須から近い 名古屋の神社仏閣です 
今でも 木蓮たちがいたわずかな時間でも 
10人以上 お参りにいらしていました 
御朱印の書置きはありません 
必ず 御朱印帳を 持ってきてね 

 

八幡社 武家の 神社ですが 信長さまが童のころ ここで遊んでいたかもですよ 

だって 元服した 古渡城から 徒歩5分のところですもの 

 

名古屋神社ガイド HP