母の容態が悪くなり、母の身体のことと同時に気になってしまうのが、兄弟の関係。
長男との次男は元々仲が悪く、私も長男と関係が悪くなっていました。
最近は、必要な連絡を受ける時の態度は少し柔らかくなってきてはいましたが、やはり長男に会うのは憂鬱でした。
母の認知症が悪化していくときには、周囲に悪態ともいえる態度をとっていた長男でしたが、今回は周囲に対して穏やかに接していました。
私に対してもどちらかというと気を遣ってくれているのがわかり、数年前の関係が悪化する以前のような感じで過ごすことができました。
母の葬儀も、長男の意思により、本当に身内のみの多少型破りなような形のお別れでしたが、元々宗教に関心のない母だし、母のことを思う人達に囲まれて旅立つことができて喜んでるだろうなぁと思えるものでした。
母が私を私だと認識して会話できたのは、母が入院した頃。
入院を嫌がり、病院から電話をかけてきた母。
その時点で認知症は進行していて、被害妄想などもあり、周囲を巻き込んで長男との言い合いをしたり、徘徊のようなこともあり、入院することになっていました。
いざ、入院すると帰宅願望が強く、長男にも毎日病院経由で電話をかけてきて「帰りたい、帰りたい」と繰り返していたそうです。 そんなこともあり、私の連絡先も病院に伝え電話をかけてきました。
電話をかけてきた母は、「病院に閉じ込められている。ここの職員は私を見張っている。お願いだから迎えに来て欲しい。迎えに来てくればその後は自分で生活できる。」と繰り返していて。
その時に母が帰りたいと言っている場所は、両親が建てた家ではなく、母の実家だったり、私が遠方にいることもわからなかったりと、かなり症状は進んでいたのですが、その電話も一度だけで、次に面会した時には私のことはわからなくなっていました。
長女が進学したことも、次女が長女と同じ高校に進学したことも、長女の成人も愛犬の体調不良も、甥の結婚も母はわからなくなってしまって。
病気だから仕方がないと分かってはいるけど、笑顔で孫達から話しを聞く母の顔を見たかったなぁ。
なんて、母の顔を見ながら思いました。
認知症になってからは、母のことを考えると切なくなることが多かったけれど、母が亡くなった後は私はさみしいけれど、母は父や母の両親、兄弟も待っている場所にいったんだなぁとも思えます。