初めての一人暮らしは15年前、2008年7月に特定派遣会社に採用されて研修の数ヶ月間東京都板橋区に住んでいたました。
借り上げの住宅で家賃は5万円でした。
間取りはバブル時代に流行ったロフト付きワンルーム。
今現在過ごしている自分の部屋からすれば2倍ぐらい広いです。
(キッチン、ユニットバス含む)
でも、管理が悪く、換気扇は回らない。キッチンの下の収納は臭い、冷蔵庫は古い直冷式の冷蔵庫でした。
場所は閑静な住宅街でよかったのですが、当時ゲリラ豪雨が多く雨音が五月蝿かったです。
部屋には冷蔵庫は付いているけど、電子レンジやオーブントースターなどが無く、パンは1斤100円のパンを電車の帰り道で購入して、それを3日間に分けて朝晩食べていました。
おかずは魚肉ソーセージ、野菜を食べる代わりに野菜ジュースを飲んでいました。
お茶は水だしの麦茶を飲んでいました。
まともに給料が出るようになってからは電気湯沸かしポットでお湯を沸かしてインスタントラーメンを食べたり、オーブントースターを購入して焼いたパンを食べられるようになりました。
あとは湿気が多いのでナショナルの除湿機を購入しました。ブランドがパナソニックになっていたのですが、切り替えの時期でナショナルブランドが安かったので購入しました。
テレビは無く東京に出る前に購入していたイーモバイルのポケットWi-Fiでインターネットを抱き込み販売で売っていた小さいパソコンでやっていました。
とは言っても動画をストリーミングできる通信速度ではなかったのでどうしてもテレビが欲しいと思ってチューナー付き小型のDVDプレイヤーを買ってテレビを購入してテレビを見ていました。
NHKの勧誘が来たけど、テレビを持っていないってことで追い返しました。
そんなこんなの時にリーマンショックがおきまして、会社の方も仕事がなくなってきたので研修中の人間を整理解雇となり、その対象になって11月の半ばに実家の元いた部屋に帰るためクレジットカードが効くコンテナ引越しで荷物を送ることになりました。
持ってきたプラスチックのケースを処分、購入したオーブントースターを残る同僚にあげて本もブックオフで処分して家に3500円の夜行バスで帰りました。
整理解雇だったので12月末まで在籍扱いで給料ももらえました。
当時、近所に家賃が安めのアパートがありましたが、色々面倒だったのと景気が悪くなりそうだったので大阪に帰る決断をしました。
今考えると正解だったかもしれません。
精神的に病み始めていましたからね。
ヘルペスが出て薬代もジェネリックが無かったからきつかったです。
今はヘルペスはジェネリックがあるんですけどね。
心なごりがあるとしたら東京で仕事したかったなぁって思っています。
帰っていなかったら、地獄の5年間になるところでした。
とは言ってもぬるま湯に浸かったような期間でしたけどね。
民主党政権時代は仕事は少なかったし、あったらあったで出られるだけ仕事をしていました。
転職も色々挑戦したけど、別の一般派遣の仕事ばっかりで、勤務していた企業に誕生日に打ち切りにあってその後その企業は倒産して清算されました。
そして、単発派遣の連続となります。
その後はまたにします。
今の気持ちとしては親がいつどうなるかわからないので、しばらくは東京に引っ越すことは無いと思いますし、大阪で一人暮らしはしばらくしないと思います。
大阪はコンパクトで何かと便利ですし。
三重県は原付2種で2時間ぐらいで行けますし。
あんなに近いとは思わなかった。