死の不安から解放されて老いる

死の不安から解放されて老いる

大嫌いだった父が亡くなりました。

「生きる辛さ」
「死」の恐怖をどうやったら克服できるのか、20代から考えてきましたが父の最後の10年の寝たきり生活を通して、これから自分もどうやって迫り来る「死」を受け入れられるのかを探って行きたいです

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父はすさまじい仕事のストレスを抱えていたことは間違いない。


時代的に日本の経済がものすごく成長した頃に働き盛りでバブルが弾けたとしてももうある程度の地位はあり、管理職になっていて私は平日父を見た事はほぼありませんでした。休日でさえあまり家にいない

出張、ゴルフ、会食


たまに早く父が帰ってくると自分のストレス/不機嫌を撒き散らすので私たち姉妹は速攻自分の部屋に戻る。


母は決まって「お父さんは疲れているから…(不機嫌でもしょうがない。怒鳴ってもしょうがない)」


こんな感じでした。


仕事をしている父は本当に一家の主人で、


疲れているからどんな態度も仕方ない理解すべきだという無言の含みがありました。


姉はそういう矛盾に真正面から突っかかりましたが

私はそういうものなんだと思っていたと思います。


父は退職しても不機嫌でした。

不機嫌のスケールは変わったと思いますが


些細な気に入らない事が常にありました。


「なんだ。仕事が原因じゃないんだ」


と思ったのを覚えています。



彼はただ「怒りたかった」のだと思いました。





子供の頃の話を思い出しました。


私が小学校低学年くらいのころ突如思い出したかのように算数のテストを見せろと言ってきて、できなかった問題を教えてくれるのですが、大声で怒鳴って教えるので声が怖くて考えられない。


早く解かないと怒鳴り散らす


少し大きくなって悔しくて泣かない様に我慢してると

泣くまで怒鳴り散らす


泣かないと泣かない事を怒鳴られる


子供心によく思いました。


「この人はただ怒鳴りたいんだ。勉強を教えたいわけではなく、怒鳴って私を泣かせたいんだ」




父は結局、潜在的に大きな「怒り」な内在していて何かのきっかけで溢れ出るんだと… 理解しました。




ではこの内在する怒りはどこから来るのか?


これは一体なんなのだろうか?



そんな事を常に考えるようになりました。