ファン待望のニューアルバム 「What I am」 がリリースされました。

あーやが 今のありのままの私 と言っていましたが、感動的な曲あり、軽快な曲あり、泣かせる曲あり、でいいですね。


あーやの作詞作品としては

 ・You and I

 ・Wedding Song

 ・それでもあなたを愛してた

 ・What I am


の4曲ですが、このほかに共作として

 ・MADE OF STARS

 ・あいのうた

 

の2作品が収録されています。


さて、そろそろこのブログの本題に入っていこうかと思うのですが、マイクラシリーズでの作詞の傾向と その後の作詞の傾向は 明らかに違ってきています。

最近の傾向は むしろマイクラシリーズに入る前の作品群に近いように思っています。


あーやの作品は 人生に真正面から真摯に向き合う姿勢が貫かれていると思っていますが、その視点の位置が大きなサイクルで 動いているように感じています。


初期の作品では 高校時代の苦しかった経験などが 元となっている作品などが多く、それがマイクラシリーズで一気に 人生の真相に非常に高い視点から迫るような作品を生み出し、さらにそこから見えてくる 生きるヒントを描き出していました。


そして その後 今回のアルバムに至る作品では もっとずっと近い 言わばあーやの地上の視点から人生を見た作品と感じています。


どれもが あーやであり、言葉の紡ぎ方そのものは どんどん洗練されてきていると思っています。


マイクラシリーズまでの作品については このブログで過去に書いていますので、詳しくは触れませんが、

人生の実相、存在の実相にまで迫るような 大きな視点を感じた作品としては

 ・ロミオとジュリエット

 ・仮面舞踏会

 ・mamas'lullaby

・私という名の孤独

などがありました。

さらに そうした視点から生まれる人生を生きるキーワードを示した作品として

 ・新世界

 ・Ave Maria!~シューベルト

 ・What will be will be

などを挙げたいと思います。


こうした視点は おそらく作曲家のすべてを調べ、その想いに迫っていくという とてつもなく大変な作業をして作詞に至った という経過によって あーやは深い部分で触発され、到達したのだろうと思います。


ただ、こうした視点に気づいたからと言って、人生が楽に展開するようになるかと言えば そんなことはないのです。

言わば、今現在を生きる 生身の人間としての あーやの視点、地上における視点に立ち返り、その苦しみや悩みを表現しているのが その後の作品群ということだと思います。


その大きな契機となったのが 東日本大震災なのではないでしょうか。


さて、こうした あーや作品への概観はこの辺にして 次は具体的な個々の作品について 触れて行ってみたいと思います。


地上に舞い降りた天使が そこで感じている世界です。

あーやがマイクラシリーズで示したような世界観を 私自身が形成していったのは 30代の頃でした。

「すべては自分が選択している」 という人生の観点です。

だからといって、楽な人生が送れるようになるわけではないのですが、自分の置かれた状況に対して それまでとは違った視点を持てるようになったと言えるかもしれません。


我々は自分の意志とは無関係の状況の変化に翻弄され、壁に当たって困惑し、悩み、苦しむということを人生の中で経験していると 感じています。

しかし、「すべては自分が選んでいる」 という観点を持つことによって 自分の見ている世界の様相が変わります。


このブログで何度か書いているように 私は仕事が全くないという状況を過去に経験しています。

その只中にある時は 状況にオロオロし、どうしたらこの窮地を脱することができるのか全く見えず、不安に苛まれる自分が確かにいましたし、それがリアルに感じる自分です。


しかし、平時に感じることはないのですが、その時は明らかに「もうひとりの自分」を感じていたのです。

自分を鳥瞰している自分と言いますか、オロオロしている自分を見ている自分という視点です。


その視点から見ると 人生を双六に例えるなら、「今、”困ったゾーン”を通過中で、あと一回サイコロを振れば、このゾーンは通過できる」 というような感覚、うまく表現できませんが、未来が見えているというのとは全く異なりますが、合理的根拠は何もないのに 「必ずナントカナル」 という確信です。

こうした感覚のおかげで、不安で夜も眠れないということは 一度も経験しませんでした。


単に脳天気なだけで、その後、うまくいったのは偶然、運が良かっただけと言われれば、返す言葉はないのですが、私はそのようには 捉えていないのです。

「すべては自分が選んでいる」 ・・・人生は その取り巻く状況も含め、自らが創り出している という観点は 主観こそが実体であり、究極の客観性というのは そこにあると感じています。


私は あーやが主にマイクラシリーズで示した 人生の本質を突く 幾つものキーワードを紡いでいくと こうした視点にたどり着くと 考えています。


つまり、私が想像するに、あーやは 若くして既に こうした視点や感覚を身に着けていると思うのです。

移籍を廻る動きの中で、あーやも全く先が見えない状況を 体験しているようですが、こうした感覚も体験しているのではないでしょうか。


であるとするならば、音楽家「平原綾香」を プロデューサー「平原綾香」が観ているという視点を持つことは出来る ということだと思っています。


自分の人生を振り返っても感じることなのですが、人生の新しい視点に気づき、それを「知」として得ると つぎは それを体験することに なるようですね。


 今、やっと気づいたの 試されていたと (Ave Maria ! ~シューベルト)


試しているのも 「自分」 です。


あーやの移籍を廻って もう少し書いてみようと思います。


現在の あーやのプロデューサーはどなたなのでしょうか。

以前のレーベルにおいては デビュー以来、大物プロデューサーN氏が 非常に大きな後ろ盾として 存在していたことは 多くのあーやファンが承知しているところです。


そして12月にリリースされる移籍第一弾のアルバムでは デビュー以来、多くの あーや作品でアレンジを担当されていた S氏の名前が あーやと連名で登場しているようです。

S氏は あーやが最も信頼を寄せる音楽関係者のひとりでしょう。

では Sさんが以前のNさんのように 今後のあーやのプロデュースを担当されるのでしょうか。


ここからは 私の全くの憶測でしかありませんが、少々それとは違うのではないかと思っています。

私は音楽の世界のことは全く知らない門外漢ですが、プロデューサーには2通りのあり方があるように思います。

ひとつは アルバムやコンサートなどのような 個別プロジェクトにおける構成や企画を担当する、言わば戦術レベルのプロデューサーと もうひとつはアーティストの活動の方向性を考え、企画していく戦略レベルのプロデューサーです。


以前のレーベルでのコンサートやアルバムのプロデューサーは N氏若しくはN氏とあーやの連名のいずれかでした。

個別プロジェクトにおいては あーや自身がプロデュースをしていた ということですね。

おそらく今後も 今回リリースされるアルバムのように あーや自身とSさん あるいはまた別の方との 共同プロデュースという形が 多くなるのではないでしょうか。


さて、そうなると アーティストにとって 最も大きな存在である 常任の戦略レベルのプロデューサーは どなたなのでしょう。


私はそれは あーや自身なのではないかと思っています。


4年ほど前のファンクラブイベントの際、あーやとN氏の対談がありました。

その際、N氏が 「平原綾香は プロデューサーとしての骨格を 初めから持っていた。」 と発言したのを記憶しています。

そうした資質を備えた あーやが この10年間、数多くのアルバムをリリースし、毎年コンサートツアーを行っているのですから、音楽家としての成長と共に 企画、構想といった面でも 力をつけてきたことに 疑いの余地はないでしょう。


今年の 「Dear Jupiter ツアー」 の パンフレットにはプロデューサー名がありません。

エグゼクティブ や ゼネラル といった冠詞のつくプロデューサー名はありますが、・・・・

実際のところは あーや自身だったのでは・・・・・


こと戦術レベルのプロデュース、つまり個々のアルバムやコンサートのプロデュースを あーや自身がおこなうことは 今までも十分にやってきていることですし、さらに才能を開花させていくであろうことは 想像に難くありません。 とても楽しみです。


ただ、戦略レベルのプロデュースは簡単なことではないでしょう。

今後のアーティスト「平原綾香」の方向性を考え、企画していくということは 客観的にアーティストの実力、可能性を把握し、人脈や資源を有効に活用して 道を拓いて行く仕事ですね。

会社で言えば、まさに経営トップです。


客観的に自身の可能性までをも把握して 活動の方向性を考え、企画し、具現化する道筋を考える、というのは並大抵のことではありません。


でも、私は あーやならばこそ 出来ると思っています。

そのあたりのことは また次回と致しましょう。