子どものころ、父はいつもいつも、機嫌が悪く、とても怖くて私はいつも、怯えていた。
テレビを見て笑うと怒られ、ご飯のときその日あったことを母に話していると、「うるさい!黙って食え!」
と怒鳴られ。
住んでいた家はとても狭く、家族6人で暮らすにはかなり不自由だった。
狭い部屋で父はタバコをプカプカ吸っていたので私はいつも頭が痛かった。ニオイで酔ったようになるから、部屋の隅に重ねてあった座布団に顔をうずめるが、その座布団もタバコのニオイが染み付いていて、逃げ場がなく、苦しかった。
母はいつも忙しそうにしていて、眉間にシワを寄せていた。
ある日、クリスマス近くに母がクリスマスツリーは無いからと、緑や赤や黄色の色画用紙で、部屋の壁にクリスマスツリーの形とったものを作ってくれた。私はそれが、物凄く嬉しくて、
「これなら部屋の邪魔にならないからお父ちゃんにも怒られんでいいね」
って。うちにもクリスマスツリーがある!ってウキウキしていた。お母ちゃん、いい事思いついたね!って、ずっとそのツリーを眺めてニコニコしていた。
その日父が仕事から帰ってきて、そのクリスマスツリーの飾りを見るなり、
「なんじゃこれは。邪魔じゃ!」
といいながら、母と私が作ったクリスマスツリーを、ビリビリに破り捨ててしまった。
母はそれに対して何も言わなかった。私は、ただただショックで、悲しくて、涙が止まらなかった。小学校に上がるか上がらないかの頃だったと思う。今思い出しても涙が出てくる。
母は、私にだけ、家事の手伝いをさせた。
朝早く起こされ、「八百屋に行って食パン買ってこい」
朝の7時ぐらいに起こされ、突然言いつけられる。
そんな朝早くに八百屋なんて空いてなくて。「空いてなかった」と言って家に帰ったら、「シャッター叩いて大声で呼んだら開けてくれるから」
と言ってまた行かされ。
小学生の私が何でシャッターバンバン叩いて八百屋開けてもらわなあかんの?
と。何で前の日に買ってないの?と腹の中は嫌な気持ちでいっぱいだった。
そうしてやっとの思いでお店を開けてもらって食パンを買って、大急ぎで家に帰って、ありがとうも言われずただ、「あんたも早う食べな、遅れるで」
って。て、誰のせいで遅れるの?とも言えず、不味い食パンを食べて学校へ行く。誰もしゃべらない朝の時間。
5年生になる頃、母は小学校の学童保育のパートに出るようになった。
それから母がパートの日は、私が学校から帰ったら洗濯物をしまってたたみ、掃除機をかけ、米を6〜8合研ぎ、炊く。それもガスコンロで炊きあがるまで離れられない状態。
土曜日は午前中だけ学校で、家に帰ったらお弁当がある日もあるが、たまにインスタントラーメンが置いてある日もあった。
何故か、私が、兄達のラーメンを作るように言いつけられて、モヤシを炒めてラーメンに乗せてお兄ちゃんに出しなさいと置き手紙があり、何で私が?とイヤイヤやっていた。母が帰ってくるまでに洗濯物をしまって掃除機をかけて米を炊いておかないと、必ず怒られるから、それも物凄く嫌だった。大好きなマンガを読んだり絵を描いたりしても時計ばっかり見て落ち着かない。ギリギリになってようやく、重い腰をあげると同時に母が帰ってきて、結局怒られていた。だけど、おかしくない?って思っていた。
昼から仕事行くのなら、午前中に掃除機くらいかけれるだろうに、何で私にやらせるんだ?
買い物も、仕事が終わって八百屋に寄って帰ってくるからいつも遅い。母より父が先に帰ってきたりすると、父の機嫌がめちゃくちゃ悪くなるから本当に嫌だった。それを分かっているのに何で?
何で午前中に買い物行かないんだ?
と、ずっとずっと、思っていた。それを言えるような雰囲気はうちには無かった。
兄弟は男ばかり。母は女の私にだけ用事を言いつけ、いつもあーしなさいこーしなさい、そんなことするものじゃない、人が見てる、しゃんとしなさい。いつもいつも口うるさく、母が側にくると思わず背筋を伸ばして正座してしまうほどだった。
それでも母のことが、とても好きだった。と思う。
でも、大事なことは言えなかった。
中学校のとき、体育館シューズがサイズが合わなくなって、キツくて痛くて履けないことを、言えず、入学時に買ってもらったものを卒業するまで履いていた。本当に履けなかったが足をねじ込むように押し込んで、それで体育を受けていた。歩くだけで死ぬほど痛かったが、母は最後まで気がついてくれなかった。
通学用の靴は合わなくなると言えたのに、体育館シューズは言えなかったのは、毎日はくものじゃなかったから。
でも通学用の靴だって、小さくなったと伝えるといつも少しだけイヤな顔をされたから、申し訳ない気持ちになっていた。うちは貧乏なんだな。と思い込んでいた。
貧乏で家もボロの狭い借家で、いつも不機嫌な父親、用事ばかり言いつけて口うるさい母親、何も庇ってくれない兄達、小さな弟。
私は不幸だといつも思っていた。こんな家のことなんて、恥ずかしくて誰にも言えない。悲しいな。イヤだな。
基本その気持ちだった。でも
文章にすると大した事ないようにもみえるかな。
そんな家庭、昔ならよくあったかもね。