今日は仕事だった。

 

よくよく仕事の疲れは人間関係がほとんどだと感じる。

 

今日は1日ドライバーだった。

明日は1日配送員の予定だ。

 

常にドライバーで肝臓への負担を軽減したい旨、

希望を出しているが

そうしてはもらえない。

 

北海道内の長距離旅について、

6月の積丹半島で一旦収束。と決めて以来、どうも気持ちの中で

ここにいる意味が見いだせなくなり、故郷や家族、親類、友人、都会の便利さが恋しくて

仕方がない。

 

こっちに来た目的を見失ってしまっている。

自分で自分に自然の中にどっぷり浸かることを、

0か100かで禁じてしまった。

この考え方は、誰にでもあり私にも若い頃から強くある。

同時にアスペルガー症候群の症状の一つでもある。

 

なぜ禁じてしまったのだろう、ではなく、

森田療法的に考えれば、私にはそういう癖があるから、

それは覚えておこう。ということになる。

 

なぜなら、どうしてだろう?と考えると、その癖の発端に囚われ前進できなくなるどころか

思考の迷宮に迷い込んでしまうからだ、と感じている。

 

私の例に戻ると、改めて自分の感情見つめてみた。

すると、まだ目標があったことに気づいた。

遠出はしばらくしないけど、

・阿寒湖や、十勝の湖で趣味のフライ・フィッシングをすること。

・秋になったらまた、森にウォーキング、トレッキング、キャンプに行くこと。

 湖があってトラウト釣りができる場所を望んでいる。

・冬には3期目のスキーに行くこと。去年から疲れない滑り方を0から学び直している。

そして、網走、門別方面へ、来年二月に流氷を見て、氷砕船にのること。

さらに、転職など長期休暇の取れる時、来年以降の6〜7月に利尻、礼文等に行くこと。

 

である。

 

とりあえずは、湖に釣りに行きたい。

その前に、部屋を片付ける必要がある。

なぜなら、こっちに来て楽しみを優先して人生の荷物が増え過ぎてしまったからだ。

 

その時間にこの夏の猛暑と、蚊の大群がいて森に行かない時期を当てたい。

これを想像すると、目的を見失いそうで怖く感じる。

でも辛抱の時期だと考えている。

けして、目的を忘れずにジャンプする前はしゃがむ時間が必要だ。

辛抱してしゃがもう、と考えている。