こんにちは。

今回は、江戸川乱歩の『人でなしの恋』という作品について、語ります。

ネタバレ含みます。

 

<こんな話です>

京子は10年前、美男子・門野のもとに嫁いだ。

美しい見た目に反して、「変人」「女嫌い」などの噂があった門野だが、

京子を可愛がり、幸せな新婚生活をおくる。

しかし、ある日門野が夜な夜な蔵にこもっていることに気づく…。

浮気を疑うが、一向に相手がわからない。

ある晩、追い詰められた京子は蔵に乗り込む。

そこで見つけたのは、美しい人形であった。

思わず人形を壊してしまう。

その夜、京子が見つけたのは血にまみれた夫と人形と姿だった。

 

優しい京子の語り口と、美しくも不気味な描写が混ざりあい

なんとも幻想的な雰囲気をまとう小説です。

乱歩の小説を読むと、不気味さと美しさは紙一重だなと感じます。

 

門野はいわゆる、ピグマリオンコンプレックス(人形愛)にあたるのだと思います。

前半まではミステリアスで読者にとっては「よくわからない」という印象の人物です。

しかし人形への恋が発覚すると、「愛」「懺悔」「葛藤」…

いろいろな姿が見えてきて、不思議なことに突如人間臭く感じられます。

 

他人でしたら、いろいろな恋のかたちがありますから「そういう人もいるよねー」

と思いますが妻である京子にとっては話は別です。

若い京子は嫉妬に狂い、人(形)殺しをしてしまします。

 

10年後の京子は門野の恋=人でなしの恋について、こんな風に語っています。

優しくて悲しい言葉です。

 

人でなしの恋、この世のほかの恋でございます。

その様な恋をするものは、一方では、生きた人間では味わうことのできない、

悪夢のような、或いは又おとぎ話のような、不思議な歓楽に魂をしびらせながら、

しかし又一方では、絶え間なき罪の苛責に責められて、

どうかしてその地獄を逃れたいと、あせりもがくのでございます。

(引用:江戸川乱歩『人でなしの恋』)

 

江戸川乱歩の書く「普通と違う性質の人」ってなんと魅力的なんでしょうね。

等身大の人間として書かれているので、「いそう!」と思わせられます。

魅力的だからこそ、実際にそのような性質(人形愛や同性愛などなど…)をもっている

当時の人にとっては、ある意味で救いになったりしたのかなと、考えてしまいました。

こんにちは。

今回の「恥」という作品は、太宰治のコミカルな短編です。

 

<こんな話です>
うら若き女性・和子は、友人の菊子さんに「恥をかいちゃったわよ」と愚痴りはじめます。

なんでも、とある小説家に手紙を書いたところ、ひどい恥をかかされたというのです。

いったいどんな手紙を書いたのだろうか。そしてどんな恥をうけたのだろうか。

 

この小説はこんな冒頭からはじまります。

 

菊子さん。恥をかいちゃったわよ。ひどい恥をかきました。

顔から火が出る、などの形容はなまぬるい。

草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。
<中略>
菊子さん。やっぱり、あなたのおっしゃったとおりだったわ。

小説家なんて、人の屑よ。
(引用:太宰治『恥』)


みんなの前で見栄を張ったり、知ったかぶりで語ってみたり…

そんな今思えば恥ずかしいなーという経験、一度はあるのではないでしょうか(私はあります)。
そんな経験をお持ちの方ならきっと共感できるはず!
また、若い女性ならではの万能感というか自信というか

…そんなものも垣間見える楽しい作品です。

 

具体的にどんな恥ずかしい思いをしたのかは、ぜひ読んでみてください!

短編ですのでサクッと読めますよ。

 

ちなみに、「小説家なんて、人の屑よ。」というセリフが好きだったりします。

太宰は自分がこう見られてると思ってたのかなーと考えてみたり。
しかし、なんで太宰はこうも女性を描くのが上手なんでしょうね…。すごいです…。

▼余談
すこし前まで、太宰治というと『人間失格』のような薄暗い感じの作品ばかりと思っていたのですが、

短編など読んでみるとエンタメ性のある楽しい作品も多いですよね。
作品自体に愛嬌や可愛げを感じます!

一番好きな小説家は?と聞かれると答えるのが難しいですが

一番好きな作家は?という問いには、間違いなく「坂口安吾先生!」と答えます。

 

そうです。『堕落論』で有名な坂口安吾先生です。

 

小説作品はもちろんのこと、随筆や評論が大好きなんですよね…!

あの安吾節がたまらない…。

とは言いつつ、今回は小説の紹介&感想です。笑

 

大好きな作家さんなので、どの作品にするか迷ったのですが『傲慢の眼』というちょっとマイナー作品にしました。

 

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<こんな話です>

ひと夏の間、田舎町に滞在することになった令嬢は、傲岸(ごうがん)な眼でみられていることに気が付きます。

羨望・憧れとは程遠い、憎々し気な感情がこもった眼です。

ある日砂丘の林へ行くと、その傲岸な眼の主が、何やら画を描いているではありませんか。

6尺ほどの大男ですが、まだ中学生の少年だったようです。

令嬢は彼に声を掛けますが…。

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※傲岸は傲慢とほぼ同じ意味。

 

「なんと美しい小説か…」というのが最初の感想です。

 

口下手な少年と気の強い令嬢の「にらみ合い」からはじまる物語。

大きな出来事は起きずに、たんたんと物語が進んでいきます。

砂丘の林で二人きり。

令嬢の姿を描く少年と、それを見つめる令嬢。

会話は少なく、穏やかだが緊張感のある、静かな時間がただただ過ぎていくばかりです。

 

特に印象深いのは、物語の最後に令嬢が友人へ囁くように言ったセリフ。

そのセリフの後に物語はこう締めくくられます。

「天才といふ言葉を発音した時、令嬢は言ひたいことを全部言ひ尽したやうな、思ひがけない満足を覚えた。

なぜなら、此の思ひがけない言葉に由つて、夏の日、砂丘の杜を洩れてきたみづみづしい蒼空を、

静かな感傷の中へ玲瓏と思ひ泛べることが出来たから。」

(引用:坂口安吾『傲岸な眼』)

 

正直なところ、最初に読んだときは「つまり…どういう意味だ?」と思ったのですが

同時に「なんかわからないけど、すごいキレイな文章!」とも思いました。

 

文章の芸術性や美しさを追求する純文学。

「純文学ってこう楽しめばいいのかなー」と気づかせてくれた小説の一つです。