猪木VSアリ Part2 | 「はじめての出来事」

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先週の日曜日にモハメド・アリの追悼番組として、アントニオ猪木vsモハメド・アリ

の異種格闘技戦がノーカットで放送された。




この試合で未だに語られている、アリ側による理不尽な多くのプロレス技禁止のルール強制

に関しての真相を以前ブログで取り上げた事があるのですが、

http://ameblo.jp/39junta/entry-11020584157.html 実際のところ、この試合の映像

は10年以上前に放映されたダイジェスト版以来見ていなかったので、しかもこの時は番組中に

猪木語っていたとおり、ルールが試合当日の夜中まで決まらず、結局ほとんどのプロレス技が禁

止された中での試合だと思って観ていたので、正直、悪者アリVS英雄・猪木の偏った観点で観て

いたのと、テレビの編集も猪木の語りもいれ、そのように制作されていたので、完全に猪木寄り

で感心しながら観ていた。



しかし、数年後以前にブログにかいたように雑誌Nunbur元編集者・柳澤健「1976年のアン

トニオ猪木」に書かれているのだが本当はルール、凡戦となった試合後の言い訳として、猪木と

マネージャー新間寿によって考えられたものだった、しかもこれは元・マネージャー新間寿

自身の言葉で、猪木自身もこの本の内容にサインをしている・・・・ん~????


今回はルールは決められていたのか?試合後の言い訳なのか?そこらに注意を置いて観ていたの

ですが、ん~よくわからないが、やはりルールに関しては猪木不利なルールであるように感じ

た。しかも今回は前回放送の時のように猪木の一方的な解説はなかった???


そもそも、この試合は、モハメド・アリがエキジビションだと思って猪木の挑戦を受け来日

したのに、猪木サイドが真剣勝負をする事がわかり、あわてたアリ側がルールの規制を言って

きたという話となっているのだが、トーマス・ハウザー「モハメド・アリ その生と時代」

という本では、最初、猪木サイドが、アリ側に日本でプロレス(筋書きあり)を申し込み、

プロレスのリングにも上がった経緯をもつ、プロレス好きのアリがそれを承諾して来日した

ら、セメント(真剣勝負)という事になっていた。と書かれているそうです。


確かに2カ月後にタイトル・マッチを控えた、世界のモハメド・アリが、おそらく聞いた事も

ないであろう、日本のプロレスラーとセメントをやる契約をひきうけるのはまず考えられない

と思われます。

プロレスだという契約で来日し、セメントをしかけられ、足を蹴り続けられ、15ラウンド

戦った、モハメド・アリは本来はもっと称賛されるべきだと思うのですが・・・・・