Mi-Ke | 「はじめての出来事」

「はじめての出来事」

ブログの説明を入力します。



やってくれました~!!!
本日、侍ジャパンがメジャー相手に、4人の投手でノーヒットノーランを達成しました。
クローザーの大役を任された私の地元、新湊高校出身の西野投手も無事最後を締めくくって
くれて、胸をなでおろしましました。

3連勝で日米戦、20数年ぶりに勝ち越しをきめましたが、確かその時の最終戦、勝ち越しを決められたメジャー軍団が、必死でランディージョンソンを含めた3人ぐらいの投手で日本相手にノーヒットノーランを決め一矢を報いた記憶があるのですが?これまた違っていたら(´Д`;)ヾ ドウモスミマセン!



私がブログ謹慎期間中?にハマっていたのがMi-Keの動画です。

1991年に「思い出の九十九里浜」で、キラ星のようにデビューされ、1993年
の5月にラストシングルとなった「Please Please Me,Love」まで活動期間は役2年でしたが
私の中では強烈なインパクトでした。

まず、3人とも綺麗、メインボーカルのケーリン(宇徳敬子さん)は当然綺麗なのですが、
後ろで踊る、村上遥さんと、渡辺真美さんも本当に綺麗でした。
しかも当時、村上さんはフェリス女学院、渡辺さんは学習院大学と高学歴の現役女子大生
でした。
そんな才色兼備の2人がメインボーカル宇徳さんの引き立て役に徹し、いつも笑顔で後ろで
コメデチックな振り付けを踊る姿が好きでした。

中でもこの「悲しきテディボーイ」は曲も良く、動画の1分と2分15秒での、渡辺さんの猿の
真似をした振り付けがとても好きなのです。




私は3人とも好きですが、特に渡辺真美さんが好きでした。


なにしろMi-Keの前身である、B.Bクィーンズのコーラス隊のオーデションに後にZARDで活躍
される坂井泉水さんを蹴落として?選ばれた3人です、坂井泉水さんが落選なんて不思議で
なりませんが、歌は坂井さんよりケーリンの方が若干上手いのが理由でしょうか?。

Mi-Keの曲は懐かしい感じのアレンジにされており、歌詩にも懐かしい曲名がふんだんにおりこまれ私にすれば、まさに涙ものでした。しかもほとんどの作曲が織田哲郎さんが担当されているという贅沢ぶり、そんな中でもこの「白い2白いサンゴ礁」は本当にウルウルきてしまいます。
踊りもとても可愛いいですよ。




いかがでしたか、「白い2白いサンゴ礁」がフォーク調なら、次の「涙のヴァケーション」
は、オールディズ調、本当に良い曲です。



Mi-Keの曲は良い曲ばっかりで、しぼれないのですが、最後は今日お付き合いしてもらった
お礼に、真美ちゃんの美脚が堪能できる「ブルーライト ヨコスカ」をどうぞ( ^ω^)_(Rー18指定でお願い・笑)




いかがでしたか、皆さん鼻血は大丈夫ですか?真美チャンごめんなさい、そしてごちそうさま!どうしても真美ちゃんの超美脚に目がいってしまいます。真美ちゃんファンの私としては複雑な心境なのです・・・(これ載せて良かったのかな?もしかしたら、他の動画に変えるかもしれないです)


Mi-Keは活動期間2年ほどで、紅白にも2回出場、最後のシングルっとなった「Please Preas Me,
Love」もオリコン15位とまずまずながら、ケイリンちゃんのソロ活動の為か、MI-Keと
しての活動は休止してしまいました、本当に残念です。


その後、宇徳さんはファーストソロアルバム「砂時計」が1位、セカンドアルバム「氷」も2位
で、テレビなどのメディアには出ない方向で活動されておられます。

宇徳さんといえば、私の友人の後輩が、大学時代、デビュー前の宇徳さんと、”仲良しこよし”だったそうで、先輩である私の友人は何回も宇徳さんと会ったそうです(羨ましい~)



いつも笑顔の遥ちゃんは、活動休止後「元気が出るテレビ」や「アドマチック天国」などに出演されていましたが、今は結婚され宮古島で「Deco Plants」という多肉植物専門店のオーナーをされています。


私一押しの真美ちゃんは、活動休止後、ソロの話しも流れたようで、タレントのマネージャーをされたり、吉本興業にも所属されたり、飲食店で働いたりと苦労されたようですが、今は結婚され語学堪能な彼女はJan Mei(チャンメイ)という名前で、ジャズやボサノバ、フレンチポップを歌われアルバムも数枚だされています。(動画もみれます)

遥ちゃんとJan Meiさん(真美ちゃん)の近況はお二人のブログでみれますよ。
(もしご迷惑がかかるといけないので、ブログのアドレスは掲載しません)

Mi-Keは正式に解散してないので、またいつの日か私たちの前に現れてくれる事を期待してやまない今日この頃なのです。