ブログらしく最近の出来事とか書いて足元見ていこうと思い、考えてみると「足」ってどこからどこまでが「足」なのだろうと悩んだ結果、足首から足の裏までだと結論づけた上でググると狭義にはそれで広義には腿を含めた下肢全体を指すらしいです。このように、百合にも「キス以上しないと爆発だ」という狭義派(過激派とも言う)や「女の子が2人いるだけで脳内麻薬だ」という広義派がいると知られてますが、私は自分の「足」を信念として抱いていこうと思います。そう、足首から足の裏まで、って自分狭義派でした爆発だ。最近の出来事は無いです。
χ「僕は だ。」
ぼくは小学三年生です。せい別は、おとこです。「ぼく」って言ってるから、当然かもしれないけど。ぼくは両親ともにけんざいで、親子3人で平和にくらしています。おかあさんはやさしくて、いつもおだやかな笑顔でぼくに話しかけてくれます。ごはんも毎日おいしいものをつくってくれます。ぼくの好きな食べものはスパゲティなので、それが出るとうれしくなって、おかあさんもいっしょにうれしそうにしてくれます。たまーに、ぼくがよくないことをしたとき、そういえばこの間さんすうのテストで点がわるくてうその点数をつたえたときがあったけど結きょくばれて、声の色を変えて「うそはついてはだめよ」というようにぼくを少しきつくしかりましたが、き本的にやさしいおかあさんだと思います。「お母さん」というよりは、「おかあさん」という感じがします。おとうさんとはあまりしゃべりません。ごはんのときはだいたい新聞を見て何も言わずに食べています。だけどほっそりとした顔にくわえてメガネをしているので、こわいふんいきはないです。会話は少ないですが、おとうさんがいてこその家族だと思います。こっちは「お父さん」でもいいかもしれません。
そんなぼくですが、昨日女の子に告白されてしまいました。同じ学年、同じクラス、同じ教室の女の子で、それなりにぼくと話したことはありました。なぜかその女の子からチョコをもらい、なぜかそのチョコの中に紙きれが入っていて見てみたら長ったらしい文しょうとそのさい後に「好きです」と書いてあったというわけです。後で気づいたけど、昨日はバレンタインデーという行事だったそうです。あらためて「好きです」という文字を見るとなんだかうれしくなってきます。それがその女の子に告白されたからなのかどうかまでは頭が回らずに、ぼくは誰かに好きと言ってもらえるということそのものがうれしいのだと思います。しかし時間がたつにつれ、なぜか心にもやもやしたものが生まれていきます。これはいままで生きていて感じたことのない気持ちで、体の内ぞうや血えきまで黒くぬられていくような息ぐるしさをおぼえます。その気持ちが何なのか、正体はつかめないまま次の日学校へと足を進めます。
教室につくといきなりあの女の子が目にうつりました。女の子はこちらのし線に気づかず、友だちといつものようにしゃべっています。顔も、声も、ふるまいも。その日じょうに、ぼくは調子を合わせることができません。ぼくの中にある暗いものはまだ体の内がわでうずをまいています。そのせいか、席につくまでに女の子の横をとおりましたが、何もふれず、言わず、目線を黒ばんの下がわをあやふやに見つめながら空気にうくような感かくで歩いてました。女の子もぼくに気づいたのかそうでないのかは分からないけど何も話しかけてきませんでした。ぼくの息は鼻でもつままれているのではないかというほどにみだれて、こきゅうがしにくくなってきます。
じゅぎょうとさい後に行うかえりのかいを終えて、みんなそれぞれかえり始めます。女子たちは教室にのこり、この後あそぶやくそくをしている男子たちの楽しそうな声は教室からろう下へとながれていき、その中にはぼくもふくまれていました。だって、あのまま教室にいたら、あの女の子といたら、とかんがえるともやもやが、もやもやもやもやもやもやもやになるくらい気持ちがいやになりそうだからにげるしかなかったのです。ろう下を数歩進んで、やっぱりどうしても気になってドアの横から見える女の子のすがたを見ると、こんどはなぜかいつもとはちがうふんいきを感じさせましたが、そこにはあまりちゅういせずにそのままかえってしまいました。
次の日。
教室に入るとぼくはまた、女の子の横をしゃべりかけることもなくとおりすぎました。女の子も昨日と同じように友だちとのおしゃべりにむちゅうでした。一日たったら大丈夫だろうと思っていたのに、女の子を前にしてあらわれる苦しい息の出し入れは、変わらないどころかひどくなっているような気がします。かえるときにふたたびちら見しましたが、昨日と同じで表じょうやしぐさからわるい空気をかもしだしていました。
次の次の日。
ぼくは、何も話しません。
女の子も、何も見ません。
次の次の次の日。
むししました。
一週間後。
さいきん教室に行くのがいやになってきました。でも不登校になっておかあさんやおとうさんを心配させるほうがもっといやなので、気おくれしつつも家を出ます。ここ一週間で通学路がどんどん長くなっているような感かくに体もおもくなります。そして教室のことをかんがえると、今からこきゅうが苦しくなってきました。誰かに後ろにまきもどされるように感じるのは足だけではなく、心ぞうも、はいも、こころも。そうして体の内がわがぼろぼろになりながら学校につき、教室に入ると、それは一週間前とくらべてあきらかにちがいがありました。いつも友だちと話していたあの女の子が、一人の男子ととくべつ仲がよさそうにしゃべっていたのです。その顔はこの前の一週間とちがい、笑顔が多く声も調子よく、そしてどこかすっきりしたような目の動きをしていました。それを見たしゅん間、息苦しさからときはなたれたかわりに、腹の底からふっとうする熱が生まれてきました。それは単じゅんなもので、世間では「怒り」とよぶ感じょうのひとつでした。腹がおどり、うねり、それがうつったのか手ににぎられたにぎりこぶしがどんどんかたくなっていき、切るのをわすれて長くのびたつめが手のひらをかん通するかというほどでしたが、そんなことを考えるよゆうもありません。このまま感じょうにまかせてしまおうかと思ったちょうどそのとき、女の子の目がこちらに向きました。チョコをもらったあの日から、今ぼくの目と女の子の目が合ったこのしゅん間までの間、いったいぼくのこころはどのくらいけずりとられたのでしょうか。しかし目が合ったからといってチョコをもらうまでのぼくにもどれるわけではなく、かつての「二人」は目の前にいる「二人」に変わったのです。ぼくは、女の子があの日ぼくにつづった言葉はうそとなりかわってぼくもそのうそをみとめかけたということにあたまをめぐらせて、おかあさんの言ってた「うそはついてはだめよ」はほんとうに正しいのだと感じました。それでもその過去はなかったことにできないようで、この女の子を考えるときの苦しみは消えずに、ぼくの内がわに、こころに、固定されてしまったようです。
だけどなんと、そのぼくの内がわに固定されたものが、ぼくの内がわでわきあがったものを感じさせなくしたのです。ぼくはそれが大人がよくつかっている、「理せい」という言葉であり、「感じょう」という言葉であるとこのときはじめてわかりました。そしてぼくが感じていた息苦しさは、「理せい」がちがう方向に変化した、「意しき」だと思いました。そうやって名前をつけることでいままでさんざん感じてきた暗くて黒いものも少しはなおるのではないかと期待した、ただそれだけなのです。
色々なことを考えていたけど、じっさいはほんの数秒しか目を合わせず、おたがいにすぐに目線を本来の場所にもどします。女の子は男子に、ぼくは黒板に。この風けいが、今回のチョコから始まったできごとの結末をしょうちょうしているようです。しかしぼくの「意しき」は、あの女の子がいるかぎりつづいていくのです。ひょっとしたら、いなくなっても。人生の結末である、死まで。
これが、僕の原点である「理性」「感情」「意識」の三つ巴の行動基準のバランス調整の始まりだ。
そして僕はこの始原の出来事から一つの結論を導いた。
まずは「理性」。
確信を持って主張できる。根拠は、それが"真"であるからだ。逆にそれじゃない方は、"偽"だと言える。だって下心や嘘で構築された関係をさも"真"であるかのように掲げられたら不快になるだけだろう。なにせ僕は「ぼく」だった時に経験したからな。つまりそのような腐った騙し合いを"真"だとするのは"偽"なのだ。でもじゃあなんで、最初に述べたそれが"真"かというと、それには醜い感情など関与する余地がなく華麗で優美だという印象を与えてくれるからだ。掘り下げれば結局は「感情」に起因するからだから適切にはならないけど。
次に「意識」。
これは特に個人的な問題だが、言ってしまえば「ぼく」の出来事そのままだ。"偽"の当事者になると必然的に「意識」して精神的にも肉体的にも瓦解しそうになってしまう。アレルギーとも称せられるかもしれない。しかし"真"はまず当事者になる可能性は有り得なく、実質「意識」することもないのだ。それは僕にとって最大限に幸福なことなのだ。
最後に「感情」。
何よりもこれが大事だ。「理性」で説明しようにも結局後付けになるのだから本質には至らないわけだ。具体的には、それによって時に精神が復帰し、時に高揚感を覚える。ただそれだけでいい。理由付けなんてなくても「感情」だけで物事を決めることも出来るのだと思わせてくれる。
結論として、
それこそが"真の愛"なのだ、と僕は考える。
僕の人生。
今まで色々会って、遭って、出会って、在る。
そしてこれからも。
その中で
それを愛せることができて
良かった。
χ「僕は百合男子だ」
・『百合男子』
著者:倉田嘘
出版社:株式会社一迅社
掲載誌:百合姫
百合度:75
※主人公・啓介の宮鳥×藤ヶ谷、松岡×藤ヶ谷の妄想、カバー裏の百合絵含む
※ある意味百合度100
~大学の広間のベンチにて~
Bn「というわけで『百合男子』はこのブログよりよっぽど良い参考書だよ。以上だよ。」
Dg「終わった!?」
χ (……ん?あそこの彼女達が持っているのは『百合男子』じゃないか。まさか二人自身も……?)
「ふむ。だったら僕は彼女達の邪魔をしないように気をつけなければならないな。」
続く
予告通りあまり百合ではないブログとなりました。さてもう寝る時間になってしまった(これ書いてるとき)ので良い百合の夢を見るためにもベッドに女の子の抱き枕2つ向き合わせて床で寝ます。むしろ野宿します。
次はゆる~くゆり~く最近の話題でも。
