日ソ平和条約はありえない❗

●麻山事件

麻山事件とは、太平洋戦争末期の1945年8月12日、満州国鶏寧県麻生区において、日本の哈達河開拓団が避難中にソ連軍と満州国軍反乱兵によって攻撃されて集団自決した事件。421人が死亡した。
1945年8月9日にソ連軍の奇襲攻撃が開始され、東部国境地帯にはソ連の第1極東戦線に属する優勢な機械化部隊が押し寄せた。日本軍の前哨拠点の多くは全滅するまで抗戦したが、たちまち突破された。開拓団などの日系住民の避難も9日から開始されたが、鉄道を利用できたものは一部で、多くは徒歩での移動となった。

ソ連軍は、哈達河開拓団にも銃砲撃を加えた。開拓団は後方からもソ連戦車が接近中との情報を受け、もはや包囲された状態と判断した。退路は北方の山地しか無く、疲労して逃亡継続が不可能と考えた婦女子は、貝沼団長とともに自決することにした。わずかな男子団員が自衛用に携行していた銃により射殺することで「介錯」し、凄惨な集団自決が行われた。男性団員の一部はソ連軍に対して夜襲をかけるなどしており、麻山における自決・戦死による団員の死者は421人とされる。
麻山事件