今日の南関は浦和。
留さんも杉村も、一着はなく…
で今日は、珍しく荒尾から離れたテーマで。
チラッと手のあいた時間に国会中継見たんだけど、あの田中真紀子さんの旦那さん、田中防衛相が吊るし揚げでしどろもどろでしたね。
新生野田内閣、早くも弱点つつかれてるな、て感じかな。
ところで、自宅で人生の終焉を迎える人が増えているらしい。
1970年代後半に、病院などで亡くなる方が自宅で最期を迎える人より多くなった。
日本の医療の目指すところの変化が大きな理由の一つと考えられる。
「徹底的に治し生かす」ことを目指す医療は、人生の最期の瞬間を、たくさんのチューブなどで機械や点滴に繋がれ、親族がそのからだにすがりつくことすら拒むように迎えることを余儀なくしてきた。
医療費の増大は、その結果として当然のこと。
そこで注目されてきたのが、地方包括ケアシステムという、新たな医療体制。
「人生の最期の看取りを自宅で」
病院という、治療の場所から自宅という生活の場所へ拠点をかえることにより、様々な縛りがなくなり、投薬量などの減少はかなりの数をみることができるとのこと。
が、自宅でその終焉を迎えるのには、家族の力だけでは如何ともしがたい問題は、やはり医療、看護、介護。
患者と家族の情報を様々な職種のスタッフと共有し、行政の街づくりを含めた体制。
それが必要不可欠なものだと思われる。
家族と過ごすことで、死を受け入れようとする患者。
患者と家族の両方を心身ともにケアすることで、在宅で最期を迎える人が増えている。
夕方、一人で暮らすオヤジに電話をかけ、体力が落ちたなどという会話をし、これからのことなどいろいろと考えているいた時に耳に入ってきた報道番組。
オヤジの死を今から考えるのはあまりに不敬だし、考えたくもないが、介護ということを含めるとタイムリーな話題。
以前も医療に携わる人の著作を読み、人らしい終焉ってなんだろう。大往生って?などと思ったことがあったけど、今回も同様に思ったわけで。
不敬、不孝を承知のうえで敢えて言うと、あんなに大好きな自宅なんだから、やっはりオヤジにゃ自宅で最期を迎えてほしい。
そのためには…
いろいろと考えます。
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