何年か前にリリー・フランキーさんの自伝的小説『東京タワー ーオカンとボクと、時々、オトンー』を読みました。互いを思いやるオカンとボク。ガンとの闘いの末に旅だったオカンがボクに残した遺書を読んで泣けて泣けてしょうがありませんでした。

 先月、母を亡くしたからでしょう、この小説を原作にした映画を観たくなりました。

 

<あらすじ> ※ネタバレ注意

 この作品は、俳優、小説家、イラストレーターなどとして活躍するマルチタレントのリリー・フランキーさん(1963-)の自伝的小説を映画化したものです。カットしたりつけ加えたりはしていますが、物語の大きな流れは原作通りです。

 ボクは北九州の小倉でオカン内田也哉子 1976-)オトン小林 薫 1951-)、それにオトンの母親と4人で暮らしていました。しかしオトンの酒癖の悪さが原因でオカンが実家に戻り、ボクも小学校に上がる前からオカンと一緒に筑豊で暮らすようになります。

 高校を卒業したボクオダギリジョー 1976-)は東京の美術大学に進学します。オカン樹木希林 1943-2018)の仕送りで学生生活を続けますが、授業にはほとんど出ずに酒や麻雀漬けの毎日を送ります。一年留年してなんとか大学を卒業しますが、自堕落な生活は卒業後も続き、ようやく仕事に身を入れるようになった矢先、オカンがガンにかかったことを知りました。

 生活がある程度安定してきたこともあって、ボクはオカンを筑豊から呼び寄せ、東京、笹塚のマンションで一緒に暮らし始めました。マンションにはオカンの作る美味しい食事を目当てにボクの仕事仲間が次々に訪れ、オカンはすっかりみんなの人気者になります。

 しかし7年後にガンが再発し、オカンは東京タワーが間近に見える病院に入院します。体力の問題から手術ができないためオカンは抗ガン剤治療を受けることになり、連絡を受けたオトンも小倉からやって来て看病にあたります。

 抗ガン剤の副作用は激しく、ボクはオカンにこれ以上苦しい思いをさせたくないと医師に治療の中止を申し入れます。医師から「あと2、3か月」と告げられます。

 東京に桜が咲いてしばらくして、オカンはボクとオトンに見守られながら旅だっていきました。

 

松岡錠司監督(1961-)

2007年公開

日本アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀主演女優賞、最優秀助演男優賞を受賞

 

 

<樹木希林と内田也哉子>

 この映画でオカンとを演じるのは内田也哉子と樹木希林です。ご存じのように内田也哉子は樹木希林とロック歌手の内田裕也の一人娘で、親子でオカンを演じたことになります。

 この親子、前からなんとなく似ているなと感じていたのですが、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で二人が交互にスクリーンに登場するのを見て、「そっくりじゃないか」と思うようになりました。

 内田也哉子は音楽活動も行っているので、その点は父親の影響を受けたのかも知れませんが、少なくとも容姿についてはお母さん似だなとつくづく思いました。

 夫は本木雅弘、子どもは内田伽羅、UTAで、3代にわたって何とも濃いキャラが集まったものです(笑)。

 

<オカンの残した遺書>

 冒頭にも書きましたが、私はこの映画の原作になったリリー・フランキーさんの小説を何年か前に読みました。オカンのボクへの愛、そんなオカンへのボクのいたわりがユーモアを交えて全編に貫かれていますが、オカンが抗ガン剤治療を始めてからのくだりは、読んでいるこちらも苦しくなるほどでした。

 映画でも描かれていますが、オカンは自分が死んだ後にあけるようにとボクに箱を残します。中にはボク宛ての遺書が入っていました。ちょっと長くなりますが紹介します。

 マー君

 長い間どうも有難う

 東京の生活はとても楽しかった

 オカンは結婚には失敗したけれど

 心優しい息子に恵まれて

 倖せな最後を迎えることが出来ます

 小さい頃は泣き虫で病弱だったので

 神仏にお願いする時は先づ健康

 そして素直な子に育つように

 長じてからはやはり健康が一番

 それから商売繁盛 最近は欲張って

 彼女と二人分の交通安全を祈願しています

 ただ一度たりとも

 自分のことをお願いしたことはありません

 これからは彼女と楽しく仲良くして下さい

 彼女はほんとに実の娘のようだった

 お母さんお母さんと甘えてくれるのが

 とてもうれしかった

 オカンは倖せな幕引きが出来て

 何も思い残すことはありません

 

 ほんとに有難う

 そして さようなら 

 

 こらからも健康には充分気をつけて

 決しておごることなく

 人の痛みのわかる人間になっておくれ

 中学校の時の伊藤先生が

 中川君は男の子にも女の子にも好かれていますと

 言われたことがうれしかった

 勉強の出来る子より

 そういう人間になってもらいたかったから

 

 後略

 

 私はこの遺書を荻窪駅から自宅近くの停留所までの路線バスの中で読みました。ほかに乗客がいるので声こそあげませんでしたが、涙がとめどなくあふれて困ってしまいました。映画ではオカンの声で遺書が読まれますが、樹木希林さんの心のこもった朗読もあって、やはり涙が頬を伝わってきました。

 

<映画のテーマ そして私>

 この映画の最大のテーマは、「子を想う母の無償の愛」だし「その愛に応えようとする子の気持ち」だと思います。

 オカンは、大学の卒業証書を額に入れて飾り入院先の病院にも持ってくるようにボクに頼みます。実はボクが卒業した大学は私の娘の出身大学でもあります。私は卒業式の日に娘に卒業証書を見せてもらいましたが、以来、一度も見たことはありません。娘に無関心というわけではありませんが、子どもに注ぐ愛情の量は圧倒的にオカンに負けていると認めざるを得ません。

 一方、ボクはガンの闘病を続ける母親の病室で寝泊まりし、小倉から上京してきたオトンと一緒にオカンの最後を看取ります。

 前回のブログで紹介させていただきましたが、私は先月22日に母を失くしました。その日は昼過ぎから病室にいましたが特に大きな変化はなく、それまで母が何度も危機を乗り越えてきたこともあって午後6時ごろには引きあげてしまいました。母が亡くなったのはそれから1時間40分後でした。

 その病院は病室での寝泊まりを認めていませんでしたが、夜の8時までは付き添うことができました。なぜもう少し長く病室にいなかったのかと、今でもとても後悔しています。

 父が亡くなった時も私は最後を看取ることが出来ませんでした。この時は札幌に単身赴任中だったので「仕方がなかった」と自分を納得させることができましたが、今回は自分を責めることしかできません。オカンの愛に応えようとするボクに比べると自分が情けなくてしょうがありません。

 

<これから>

 映画にはありませんでしたが、原作にはオカンが亡くなった後、知り合いの女性が「淋しいだろうけど、男は母親が死んでからやっと一人前になんのよ」とボクを元気づけ、ボクもそうかもしれないなと思う一節があります。

 私の場合、母が94歳まで長生きした分、私も齢をとったので、37歳でオカンを失くしたボクに比べると母親に対する甘えは少なかったとは思います。でも、会えばわがままを言ってしまうこともあり、完全には親離れできていない部分もあったのかも知れません。

 14年前の父に続き、今回、母を失いました。66歳といささか遅すぎはしますが、私もようやく一人前の人間として生きていかなければならなくなりました。両親のいない人生。私自身のエンディングに向けて、人生という舞台の最後の幕が上がったような気がしています。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。