仏教での「布施」とは、お金を施す「財施」、以外にも「和顔施」「愛語施」「身施」「心施」などがあります。
ざっくりと、笑顔で優しい言葉で会話をし、人のお役に立つ行いや心遣いをする修行のことで、
持戒、忍辱、精進、禅定、智慧
を含めて(布施以下省略)、六つの修行をまとめて『菩薩行(六波羅蜜行)』と言います。
そして、これらの行を行う事でもたらされる徳(恩恵)を【陰徳】といいます。
道徳が崩壊しつつある現代社会に於いて、これらの修行はことのほか難しく、多様性を重視する現代では非常に厳しく、身を切る程に辛い修行と言えます。
なんというか、良い行いというものは、今も昔も、変わらないはずなんですけどね。。
相対して、【陽徳】とは、まさに、「お金、家、土地、車、家具や衣類、装飾品、教養、容姿、、」などなど。誰の目にも明確な恩徳の事で【有形財産】とも言いますよね。
現代社会は、「金銭・物質史上主義社会」。
それゆえ、見た目のステータスがその人(人格)を決めますので、一定数の人は一生懸命に勉強したりして、まぁまぁの仕事をしながらそれ相応の還元(お金)を頂き、まぁまぁの、まぁ誰の見た目にも良い暮らしをすること、そういう人生を、それなりに夢見る訳です。
財産【有形財産】は、確かにあるほど良い事ですが、私個人的には、お金は目的をかなえる為のチケット(切符)と、考えるので、必要な分量で良いと考えています。それについて、今日は書きたいかな、と思います。
【共同体感覚】
目的を遂行する結果、相応しい現実(共同体)が与えられ、それにより周りと影響し合い、同じ意識(目的意識)を共有する。それ以外の意識は同じ意識を持つ集団には存在しない。
例えば私は、お金はできるだけお布施をしなければならないと考えています。支払うべき税金はきちんと支払い、それなりの支出は滞りなく、日々の買い物は世の中への奉仕、また身近な人へのささやかなプレゼントなど。神仏へのお賽銭だけがお布施ではないと考えるので、基本的に良き!と思えば後先考えず行動してしまい、それ故に後々苦労を重ねてしまいます。
お金があるともないとも言えない、私の人生半世紀、いぇ、それ以上を否応なく生かされてくるとね、歳相応に厳しい現実が次から次、容赦なく目の前に現れたりするわけで。ですので、それ相応の【陰徳】なしで、人の力量なんてたかが知れていると、心底悟るんです。
何年も何十年も、働けど働けど、世のため人のため身を粉にして尽くせども、世の理不尽は、社会の闇は、情け容赦なく体力を奪い、生気を失わさせる。
もしも、理不尽な底意地の悪い人たちがお金持ちになるのだとしたら、私は私の今世の目的を果たさずしておめおめと死んでいく訳にはいかないのです。
一昔前の物のない時代に、食うや食わずで子孫や財産を遺した先人は、本当に凄い。そう、心から思わざるを得ないのです。
極寒に耐え忍び、咲かせる枝の満開の桜の花は美しく、また儚き哉
朝日が昇り沈むまで我が身をかえりみず働く人々がいて、今夜美味しいご飯に恵まれるように。
その恵みすら当たり前の如く、感謝の言葉もない。
生きる方向性(道のり)、人間のもつ性、すなわち魂のシナリオは、生まれついた徳(先祖代々の陰徳)をベースとして脈々と注がれる。そして、その格差は高い方から低い方へ、無意識下においてエネルギーの法則通り、円滑に流れていくのみ、だとしたら。
「楽して得する人」が賢く、いかにも人生の覇者って思う人がいたりして。
合理化と無駄を省く思想、それこそが現代の美徳、それが今の日本人、と本気で信じてるとしたら、
それこそが真の愚か者。
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
我が家の庭には、少し前に植えた可愛い花達は寒さでほぼ絶えてしまい、その代わりにレモンバームやミントなど地生えのハーブ、ヨモギ、菖蒲の花は自生し、絶えることなく増え続けています。
レモンバーム
『植物は、必要な場所にいき、献身的に尽くす、本当に健気なんですよね、、。』
そう、ハーブの講師さんに聞いたことがありますが、深いですよね。うちの庭先では物言わず、ひっそりと良い香りを漂わせています。華やかさはないけども。
【自己犠牲と陰徳】
雨の日も風の日も猛暑でも、ただ、無償で、ただ、生きて、ただ、枯れゆく。
人も生まれ、いつかは死にゆくと悟る時、今生きている時間、そして命の儚さを知る。
そういう事象を、自らの身を使って知る『地蔵菩薩の行』は、非常に厳しい修行と言えます。
生れ 生れ 生れて
生の始めに暗く
死に 死に 死んで
死の終に冥し
因島・弘法大師像
托鉢とは、修行僧が首から袋をかけ、ひたすら歩き続ける行、恥を捨て、己を捨て、ただ生きることを続ける仏道修行(菩薩行)です。
鯖大師(弘法大師 空海)は、そのような修行を行い、年月を経て乞食のような姿になっています。
「お大師様、どうぞお水を召し上がってください。」
「今日精一杯のお布施をさせてください。」
財を手放すことで執着(欲)を断ち、喜んで布施(喜捨)をすることを浄財と言います。それは、金銭だけではなく、身を使い掃除をし、お供えをし、線香に火を灯す、そういった行い一つ一つの中にあります。
そのような陰徳(目に見えない貯金)の恩恵は、計り知れない大きな力となり。まさに無形財産とは、目には見えない、形では現せない、偉大な力(命)のことですね。
その力(神通力)は、世間を照らす光となり、慈意の妙大雲となり、甘露の法雨となって地上に降り注ぐ
観音経の一節より、拾わせて頂きました。