気がつけば年が明けもう1月も半ばに…


前回ブログは9月…


や、まぁ、とりあえず淡々と抗がん剤をこなし、

そのターンごとの病院間転院を繰り返して大きな変化はなかったのです。




そして、年明けて1月6日が最後の抗がん剤点滴の予定日でした。

けど、その日どうやら熱があって、いったん延期で抗生剤を入れてたらしいけど、2、3日たっても熱が引かなかったので、そのままキャンセルで終了となった。


そして1月13日、

主治医の先生2人、ソーシャルワーカーさん、わたし、おとんでの話し合いがあった。

(ねーちゃんはどうしても都合つかず不参加)


MRで全身撮って最後の確認をしたところ、2回目までは小さくはなってなかったけど、広がりもなかった。

でも、今回みると、肺の周りのものが大きくなってたり、水が溜まってたり、と症状が進行し出している、と。



前回の話し合いのときに、点滴での抗がん剤が効かなかったら次は錠剤による抗がん剤もあります、と言われていたので、次はそれに向けての話しだとちょっと思っていたけど、結果的には


「もうなにも出来ることはない。

これからは痛みや不快をとっていく対処療法に切り替えましょう」


と。

おとんは、

「もうなんもせんってことですか?肺のそこの部分からちょっととってみるとか出来んですか?」

「その飲み薬を続けれんのですか?」

とか、なんとかかんとか言い出して、


いつも温厚、というか、おとなしい、というか声の小さな先生が


「もうですね、はじめの時点で全身にとんでて、ステージ4の方にはそもそも外科手術は出来ないのです。そして、抗がん剤は副作用の少ないであろうものから、はじめて、3種類目ともなると今の身体には負担も大きすぎます。ただただ体力を削るだけになってしまう。実際体力も低下してて、食欲も下がってるしリハビリも出来てない日もあるでしょ?」


と、すこし声が震え気味ななって言いにくそうだけど、しっかり伝えてた。

若い先生な分、たぶん治療打ち切りを伝えなきゃいけない、ってのでずっと苦虫を噛み潰すような歯切の悪さではあったけど。



なんかこの時、わたし頭の中はめちゃくちゃ冷めてて?冷静?たぶん動揺はしてない、

(あーおとん困らせとるなー、治療ってずっと出来るもんやないんよーってどうやったらわかってもらえるんかなー)とかを考えてたと思う。


そして、治療が終わる、ってことはこの大きな病院はでなきゃ行かなくて、ひとまず前回いった療養型の病院が

「施設探すにもバタバタなるからいったんうちに戻ってきて大丈夫だから、それからゆっくり考えましょう」

って言ってくれてたので、私たちの中ではそのつもりではいて、そう手配してるのだけど、


実のところ、このままほんとは

緩和ケア病棟に移っても問題ないくらいのとこまで進行はしてるらしい。



でも、この半年治療をしてくれてた先生たちの目からみても、父にこう言う宣告、と言うか、内容を告げるのは今は違うかな?ってことで、すこしでも

余命が延びるような、救いのある言い方をして、

「いったんは転院しましょう、そしてそこで調整して体力戻ってきたら施設に移って、しんどくなったらいつでもうちの緩和に入れるから」

的なことを伝えてくれた。




ただ、いろんなことがなんか理解出来てない、おとんやけど、

「緩和ケア病棟に入る=死を待つだけ」

の図式は立ってるらしく(実際はそんなことない、思わず調子よくて、いったん出てもらえる?的なこともあるらしい)

「もう緩和に入ったらすぐやねー」とか言い出してた。

実際、昨年おとんの友だちがおんなじ流れで亡くなった方が多々続いたので余計わかってる。




実際はおとんの前ではもう余命どれくらいです、みたいなことを全く触れずに話しをしたのだけど、

その後別室で、

「緩和に入ってもおかしくない、いったん悪くなったら、たぶんそこからは早いと思う。

早かったら春ぐらいかも知れません。

次の年は越せないでしょう。」

と、ただ終始、

「人の命なのでどんなことがあるかわからないから

絶対とは言えないけど」と付け加えながら。




あーーーーー、

書いてて思うけど、

昨日ほんとにしんどかったんやな。

これ、ねーちゃんと二人で聞きたかったな。

家族が揃う日にお話します、って言って欲しかった。



その後、ねーちゃんには電話で内容話して、

その後の2人のおとんに対する対応の仕方とかを話した。



なんだろね、ずっと他人事みたいや。

とりあえず、来週には転院します。





(自分のための記録なので文章読みにくくてもすみません)