小さな頃は
漠然とだけどそれなりに夢があった

大きくなったら何になりたい?

そんな質問をされたら答えていたこと

ケーキ屋さん
本屋さん
絵を描く仕事

どれも夢にあふれていたけど
どれも具体的なものではなかった

別に 将来の夢 なんて大げさなものでなくても
やりたいことは都度それなりにあった

小学生、スイミングに通いたかった
でも一時的なもので通わせてもらうことはなかった

中学生、反抗期を迎えたのもあるけれど、やりたいことは何もかも反対された
対立しかなかった
家が、大嫌いだった

高校生、それなりに希望を持って入学したけれど
憧れていた弓道部へ入ることは叶わなかった
「弓道部へ入りたい
道具一式◯万円くらいするらしいんだけど」
そう言った時の母親の反応は
「。。。」

その反応を汲み取り、弓道部は諦めた

別にその事を根に持っているって訳じゃない

説得するだけの情熱は私にはなかったし、
3学年違いの兄が同じ年に私立大学へ入学したこともあり、お金がないことも分かってた

だけど、高校入学する時も、
仲の良かった友達みんな私立高校へ行くのに
私ひとりだけ公立の、それも町外れのさびれた高校を選んだ

私には、「私立高校へ行きたい」と訴える選択肢はなかった

例えば、将来の夢がその時すでに明確で
その目標を達成する為に行きたい高校を志願すると言うなら話は別だろう

そんなことはなかった

身近に、そんな人は数人だった

将来のことを考えてあの頃志望校を決めた人が
一体何人いるだろう

あの頃はむしろ、なんの目標も夢もなかったんだ

私が望むことはお金がかかってしまうことで
自分一人でどうこうしようと努力することも
周囲を説得することもできなかったけれど

当時の私には、それだけで充分だった

やさぐれる理由は、充分だった

反抗期はさらに続き、
家に帰るのが心から億劫だった
自ら失くしたけれど、家に自分の居場所はなかった

家出ばかり繰り返して
学校もまともに行くことはなくなった

自分なんて、消えてしまえばいいと思った

あの時の私は、生きてはいなかった

何をしても
誰と居ても
生きた心地はしなかった

生きている気がしなかった

何も、実感なかった



私は、親に愛されていたとは言い難い

本人たちにしれみれば
「そんなことない」
と、きっと言うだろう

そんなことは関係ない

私自身がそう思っていたのだから、
私の中ではそれは紛れもない事実

18歳から、必死で生きてきた

みんなが進学したり結婚したりするなか、
誰にも頼らずに生きていこうと思った

もう、子供じゃない、働ける

自分のやりたいことも自分で決められる

何をして後悔しても、自分で決めたことの結果なら納得がいく

生きているとゆう実感を得る為に、
色んな仕事をした

昼も夜も働く時もあった

だけどなかなか満たされないものだった

泣いてばかりいて
前も見えない

消えたい気持ちは常に隣り合わせにあった

信頼関係を築いて結婚するなんて
子どもを持つなんて
絶対に考えられなかった

親にも愛してもらえないのに
赤の他人に愛してもらえるはずがない

親にも愛してもらえないのに
自分の子を愛せるはずがない

そう思っていた

その不安は今完全になくなっている訳じゃない

だけど今、私はひとりじゃない

お腹の赤ちゃん
そして旦那さん

赤ちゃんと対面できるまで
まだ半年近くあるけれど、

もうすでにこの子を愛してる

何をしたから、何をしてくれるからとかじゃない

この子が何もしてくれなくても
無条件でこの子が好きだ

私は絶対、この子と衝突する時が来ても
見放さない
向き合うことをおそれない

自分のことを好きだと思えるように
生きてる実感がないなんて思わないように
自分の居場所がないなんて思うことのないように

何があっても味方でいる