コートルド美術館展に出展されている、
マネの≪草上の昼食≫
オルセー美術館にも同じ題材があります。
オルセーの方が1作目で、コートルド美術館所蔵の方は2作目と言われています。
1作目のこちらの方が大きくて丁寧に描かれています。
当初、この絵の作品名は≪水浴≫でした。
マネは≪水浴≫をサロン(官展)に出展しましたが、
当時は女性の裸体が登場する絵画は神話や歴史を題材にした場合のみという慣習だったので、
リアルな裸婦を描くなど、もっての外!と批判が集まりました。当然サロンは落選。
マネは落ち込みましたが…。
この作品は、他の画家たちに影響を与えていくことになります。
≪水浴≫に影響を受けた若き26歳のモネが≪草上の昼食≫を描き始めます。
モネはサロンに出品するために製作していましたが、ギュスターヴ・クールベに作品を批判され、結局出品されることはありませんでした。
後に生活が困窮したモネは、滞納した家賃の代わりに≪草上の昼食≫を手放します。
数年後にモネは絵を取り戻しますが、保管状況が悪く傷みが激しかったため、
傷んだ部分をモネ自らが裁断し分割しました。
残っているのは左部分と中央部分。
左部分
中央部分
繋ぎ合わせるとこんな感じでしょうか。
オルセー美術館では、
額装された2枚がこのように展示されているようです。
この絵のモデルは1人目の妻カミーユ(当時は恋人)や友人でした。
モネにとって思い入れのある1枚だったのでしょう。
モネの≪草上の昼食≫には習作があります。
本作と比べると小振りな作品です。
この習作が残っていたお陰で、
分割された作品の全体像を伺い知ることができます。
習作は、2018年春~夏にかけて開催されたプーシキン美術館展で初来日しました。
Claude Monet
(C)Pushkin State Museum of Fine Arts
マネは、モネの≪草上の昼食≫に感化されて、作品名を≪水浴≫から≪草上の昼食≫に変更したそうです。
このエピソードから…
私見ですが、マネは世間を騒がせようとして裸体を描いたのではなくて、
モネのようにパリの情景の一コマを描いたつもりだったのでは?
だから作品名を変えたのかなと思います。





