元治元年 私の祖父は石川県江沼郡にて、父祖傳来の土木建築請負業者の家に生まれました。厳父に従い、大聖寺郡役場や地方裁判所等の建築物を手掛けた後、大倉喜八郎翁と親分子分の盃を交わし大倉組員となりました。明治24年 国策に従い大倉組員として釜山に渡り、その後 京城 安東に移動、日露戦争では特に請われ陸軍建築部にて、臨時鉄道橋架工事に従事、日露戦争後 奉天に居を移し、独立すると同時に満鉄指定請負業者となり、何もない荒涼とした大地に奉天附属地~市街地を築きました。《満州紳士録や日本人物情報大系》等には、奉天の代表的建築物の大半は上木組による物と記されています。大正6年 南満州鉄道株式会社より区長制度が発布され、祖父は《初代区長~5期》10年間公職に就き、奉天地方委員 奉天聖徳会長 満州土木建築協会理事~同評議委員 奉天支部長等の公職にも就いていました。
ここまでであればよくある話ですね。
しかし、祖父には《陸軍特務機関顧問》という公にされていない裏の顔がありました。《榊谷仙次郎日記》等には、当時、満州土木建築協会会長だった榊谷が祖父を訪れ、協和会会長選任(会長は金井章次で如何でしょうか)と申し上げ 上木顧問より金井で良いだろうと