minority`s SAVANNA
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判断力を批判する


Mendelssohn / Songs without words No,3 G minor


もしかしたらどこかで見てくれている人もいるかもしれないし、なにより自分への記録のためにも、久しぶりに最近のことなど書いてみようと思います。

冒頭の動画には、メンデルスゾーンの無言歌から第3番のト短調の作品をもってきました。
これは「胸騒ぎ」という邦題が付いています。別に胸騒ぎしているわけではないですが、なんとなくシリアスで内省的なメンデルスゾーンの作風は、最近の自分の調子にあっているような気がしたのです。


「困難は人を成長させる」とかって言われますが、そういう月並みな美辞麗句は昔から好きではありません。
でも、本当にその通りだなって思うようになりつつあります。

悩みが多いほうがいいなって思うことがあります。
そういう悩みが悪化すると、うつ病などの心身症にかかってしまうこともあるので注意は必要ですが、変に悪化させないなら、悩みのある人生を選びたいとさえ思います。

客観的に捉えても、悩んでいるほうが綺麗に思います。
マラソンのランナーが、苦しそうに懸命に走らずに、ヘラヘラ笑いながら走っていたらおかしいではないですか。


以前書いた羽田の現場での任は終わりました。
羽田に行っていた日々は、朝も早いし通勤も長くて、現場では毎日職人にどやされ、砂埃にまみれて力仕事も多く、つらさを感じる日々でした。

でも、それに適応するためにはどうすればいいか毎日考えていて、心の持ちようはどうあればいいか、つらさを軽減するためにはどういう生活にすればいいか、常に考えているわけです。

本や新聞を読むにしても、どこかに問題解決の糸口はないか、常に探しています。
人とのコミュニケーションにも、そういうソリューションを求めます。

「男の生き方はどうあるべきか・・・」みたいな自己啓発的な本から、本気の哲学書まで、総じて哲学的な方向に視線が向いてしまって、たとえば以前から好きなニーチェについても、新しく本を読んでみたりしていました。

ニーチェが提唱した問題で、永遠回帰というものがあります。
ものすごく難しくて深い哲学の難問のようですが、要するに、一度あることは何回でも繰り返すというようなことです。
どんな経験にしろ、また同じように感じる瞬間がめぐってくるのだから、それがつらいことでも楽しいことでも、否定せずに肯定しなければならないというようなことです。
「もう嫌だ」と思うことがあっても、またそれは巡ってくるのだから、それで人生をあきらめてはならない、ってな感じでしょうか。
うまく説明できませんが、この考え方は嫌いではないです。

気楽な生活を送っていても、自分をしっかり制御できるならいいですが、自分の場合そうはいきません。
すぐにだらけてしまうのです。
だらけるのは楽なことですが、それで罪悪感がないなら存分にだらけたいです。
でも、だらけた先に罪悪感があるものですから、罪悪感があるとせっかくだらけても楽しくありません。
結果的に、際限もなく気楽な生活を続けると、楽しくないのです。
だから、突き詰めて考えれば、自分を制御する能力に欠けた自分にとっては、気楽な生活など送りたくないのです。


こうして張り詰めた状態を保っていないと怖いのかもしれません。
どこかで緩むと、そのまま堕落して戻ってこられないんじゃないかって、なんとなく恐れているのかもしれません。
以前の自分がそういう堕落した状態だったので、こうして問題提起したり、実際の生活について哲学的に考えたり出来ているのは、以前よりも成長している証だと思うのです。
だから、こうして気付いた自我の城を崩してしまって、以前の自分に戻るのが怖いんだと思います。


こうして張り詰めた状態を続けるのも、いずれどこかで自分にとって良く作用することを、望まずにはいられません。

だいぶ人生出遅れていると思うし、まだ周囲の人たちに追いつけているとも到底思えません。
追いつけるのか分からないし、追いつけなくてもそれはそれで構いませんが、常に誇りを感じることのできる自分でありたいものです。

こういうクサいことを書いて公開するのは恥ずかしいことですが、時にはマジメに思うことがあってもいいかなってことで。

天空の橋


Debussy / Images No,2 "Et la lune descend sur le temple qui fut"




だいぶ書いていない期間がありました。いつの間にか年も明けましたが、特段何かが変わったわけでもありません。

というより、去年が色々ありすぎて、新しい仕事で初めてのことに挑戦したり、新しい資格を取ってみたり、住居を引っ越したり、去年が激動すぎたんです。
そういう諸々の変化を経て、どうも最近は停滞というか、いわゆる倦怠期のようなムードを感じつつある今日この頃なのです。

もっと躍進したいとは思いますが、変化ばかりでも疲れるので、ワンクッション置くのもいいとは思うんですけどね。


というわけで、現場が変わることになりました。
年が明けて、最初の変化がやってきたようです。

今度は期間はそんなに長くないのですが、かなり大規模な工事に関わります。
大田区の羽田に、某スーパーゼネコン(鹿○建設)が物流倉庫を建設しています。延床面積でいうと30万平米もある、巨大な物流拠点になります。
自分はそのゼネコンの下請けの某ゼネコンの現場にて働くことになります。
ようやく、地図に残るランドマークの建築に携わることができそうです。
今まではハウスメーカーでの施工管理だったので、その知識は直接には生きませんが、でもかなり良い勉強になりそうです。

今日、自社の営業と現場に行ってきました。
京浜急行で、蒲田から羽田空港方面に分岐してしばらく行くと、穴守稲荷という駅があります。
打合せが終わって時間があいたので、羽田の町を散策してみました。

羽田という町は、大森や蒲田の更に奥にある町で、空港の直前に構えている町になります。
まさに空港との境にある町で、空港は人の居住しない無住地帯ですから、人の暮らす町としては、ここが最果てになるわけです。

倉庫ばかりの味気ない町かと思いきや、案外下町風情の残る良い町です。
家もたくさんあるし、昔ながらの商店街もあるし、公園とか銭湯とかたくさんあります。
空港という無機質で人工的なエリアのすぐ脇に、こういう人間臭いゾーンが展開されているのは、なんだか不思議でもあって、すごく楽しいです。

羽田は漁師町だったのですが、今でも細々と漁が行われていたりします。釣り船も屋形船もあるし、ガチの漁船も見ることができます。
ここら辺は潮干狩りもできるそうですが、なにより羽田といえば穴子が有名です。
羽田沖で獲れる江戸前の穴子は、極上だといわれているそうですよ。
もともと穴子は東京湾が名産ですが、江戸前の穴子でも羽田沖か品川沖が一番良いとされるそうです。なかなか獲れないので貴重みたいですね。

昼飯に奮発して、羽田の有名店で穴子天重を食べました。ランチ価格で900円。
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もちろん羽田沖の江戸前の穴子です。超絶品ですね。


漁師町だった羽田は、空港の建設によって水が汚れたり住民が追い出されたりして、不遇の歴史をたどっています。
なのでこの辺は神社が多く、それを幾つか訪れてみました。

多摩川の河口に沿って、空港のほうまで歩いてみましたが、下町ののどかな風情に近代的な空港が合わさった不思議な景色で、なかなかいいですね。
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羽田の町から空港の敷地に、幾つか橋がかかっています。弁天橋という橋を渡ると、そこに大きな鳥居があります。
鳥居を境にして、人の暮らす世界と人の暮らさない世界が分かれているような感じです。

鳥居の上には平和と書かれていますが、この鳥居の移設をめぐって、何度か作業員が死ぬような大きな事故が起きているそうです。

今アルジェリアでのテロのニュースが世間を騒がせていますが、あれも決して他人事に感じられなかったりします。
あのプラント建設会社の社員以外にも、出向や派遣の技術者も犠牲になってしまっていますが、立場的には自分も同じことをしています。
羽田の現場は、技術者として良い経験は積めそうですが、規模が大きいだけに危険も大きいと思うので、やはり無事を願わずにはいられません。


弁天橋の向かいにもう一つ橋がかかっていて、それは天空橋という橋です。
なんか、響きの良い名前の橋ですよね。
天空橋を渡ると、天空橋駅があります。
そこからモノレールに乗って帰りました。

羽田の町は、散策するにはオススメですね。
神社など巡りつつ散策したらお昼に穴子を食べて、そのあとは空港に行って飛行機を見て、帰りはモノレールで帰る。そんなデートも面白そうです。




PS.
PSやめました

紅葉山


Schubert Piano Sonata No,13 "1st movement"



よく仕事の車の中でNHKラジオを聴いていますが、ときどきクラシックの曲を流しています。
いつだったか、偶然ラジオで聴いたのが、このシューベルトの第13番目のピアノソナタでした。
シューベルトのピアノソナタはあんまり詳しくないのですが、すごく気に入ったので、あとでCDを購ったのですが、この切々とした感じが良いですね。


混沌とした10月11月が過ぎ去って、12月に入ったわけですが、年末に向けて稼動現場も減ってきて、少しは落ち着いてきたようです。
年末年始は工事の職人さんなどもお休みですから、それまでに現場はどんどん終わっていくわけです。新しく着工することもあまりありません。

ただ、どうも10月辺りの、あのカオスのときのほうが、忙しかったけどまだうまくやれていたような気がします。
最近はちょっとスランプ気味です。
できたと思っていたことができていなかったり、当たり前の報告や連絡を忘れたり、そういうことで客や会社の人などに怒られたりして、そういうときは上のシューベルトのソナタなどをよく聴いて居るのでした。

モンスターペアレントならぬモンスターカスタマーみたいな客もいて、通常見過ごすレベルの小さな汚れや傷にも苛烈に反応して、直せ直せとうるさかったり、理不尽な要求をしてくる客に不運にもあたってしまうこともしばしばです。

どんな仕事でも納期などの締め切りがあるかと思いますが、最近は工事が延びてしまうことが多いし、年内にきちんと終われるのか、不安な現場もたくさんあって、日々締切との戦いです。秋よりも現場は少なくても、プレッシャーは秋よりも多いようです。

総じて、どうも最近パッとしません。

神社や寺などにも、救いを求めに行ったりしています。
先日大仏に行ったのも、そういう要素が多少はあったと思います。

西川口にお気に入りの神社があるのですが、そこに先日行ってきて、その神社に太い神木があるのです。
立て札に、この神木に1分間抱きついているとパワーを頂けます、みたいな案内があって、あまりのパワー欲しさに人目もはばからず木に抱きついてしまいました。
その間、後方を女の子などが通りすがったりして、少し恥ずかしかったです。

年末年始は、親の実家などにも久々に行ってみたいなと思います。
ご先祖をないがしろにしていると、あまり生活もうまく回らないと言いますし。


近所にうどん屋があります。
うどんよりそば派の自分ですが、そこのうどんはすごく美味しかったんですよね。
老夫婦が商う昔ながらの店で、安心できる味でした。

新しく住み始めたこの町ですが、まだまだ開拓しきれていません。

そのあとは、島忠に柔軟剤やトイレットペーパーなどを購いに、ちょっと歩いて行ってみますよ。
秋冬は、散歩にも好適の季節ですね。歩いたときに枯葉を踏んで音を鳴らすのが、ガキの頃から好きなんです。


自信を失いかけることはよくあるし、実際に失ったりしてます。

自信なんて、そういうもんでしょう。

自信を失うことがあっても、誇りは失いたくないですね。

勝ちたいとか、金持ちになりたいとか、結婚したいとか、誰もが持つ欲望の根底にあるのは、自分の誇りを満たしたいという願いだと思うんです。

いろいろと落ち込むことはありますが、誇りを失うことなく、失敗しても気高く生きてゆきたいものですね。




PS.
昨日、知人と「向井といえばチョコボールである」という話で盛り上がりました。

鎌ヶ谷大仏


スキップカウズ / 鎌ヶ谷大仏~DIVE TO LOVE~


こうしてブログを書くのも、相当久しぶりになります。
今更誰も見ていないとは思いますが、一応自分への覚書のような役割も兼ねて、書いてみようというわけです。

さて、冒頭には非常に珍しく、今回はクラシックを外してみました。
この曲、すごくいいですよ。
一応今回の記事内容と関係があります。



最近、特に9月10月は、今まで味わったことのない激しい忙しさでした。
10月など、残業時間が100時間を超えました。休日出勤などを合わせると、100どころではなさそうです。
朝6時に起きて、夜の0時に帰るような毎日で、プライベートもヘチマもありません。家には寝に帰るだけでしたね。

生活において、仕事の占める割合が多すぎて、オンとオフがしっかり区別できないと、心も荒むものです。
楽しみを見出すような心の余裕もなくなり、ただ休息を求めるだけになってしまいますね。

11月に入り、少し落ち着きました。
休日に、どこかへ出かけてみたりする余裕も出てきたんです。

というわけで、鎌ヶ谷へ行ってきました。
千葉県鎌ヶ谷市には大仏があります。
鎌ヶ谷とか船橋とか松戸とか、仕事でいつも来ているエリアですが、車で来るのと電車で来るのとでは、なんだか全然違いますね。
鎌ヶ谷は、仕事ではたまに通りすがるだけだったので、今まで大仏を見たことはありませんでした。
新京成線という路線に鎌ヶ谷大仏という駅があるので、そこで下車すると、大仏があります。

大仏といっても、180センチほどの小ぶりのものです。ジャイアント馬場より小さい大仏です。
しかも、大仏の寺があるわけでもなく、何故か普通のお墓みたいな中に大仏が居るので、分かりにくいです。地蔵みたいな感じです。
そんな地味な大仏ですが、地元では慕われているようですね。
通りも「大仏通り」みたくネーミングされていたし、大仏不動産に大仏整骨院、大仏交番に居酒屋大仏など、大仏の付く店や施設も多くて、大仏駅前は大仏だらけです。
お土産にも、大仏ストラップや大仏コロッケ、大仏あんぱんなど色々ありますよ。
奈良や鎌倉とは違って、庶民的な大仏って感じですかね。
大仏の表情も、穏やかに悟っている感じで、いい感じでした。

鎌ヶ谷大仏を盛り上げるためなのかな、鎌ヶ谷大仏を舞台にしたラブソングを見つけました。
なんとなくキャッチーで切ないメロディと、大仏と恋愛を掛け合わせた歌詞が相俟って、なかなか好感を持ちましたよ。


少し落ち着いて、大仏とか色々なことに目を向けられるようになってきたし、そろそろ何か新しいことでも始めたいものです。



PS.
育毛剤と間違えてファブリーズをかけるのは、やめましょう。

暴かれた秘密


Brahms / Intermezzo Op.117 No,1


なんとなくブラームスの気分です。曲は間奏曲の第1番を選んでみました。
これから涼しくなってきてくれるといいですが、秋にはブラームスが合うような気がします。



今自分のいる部署で、ついに3人目の休職者が出ました。
一人目は部署長で、病気で入院。二人目は同じチームのパートのおじさんで、この人も病気で入院。三人目も同じチームの主任で、入院とかじゃないけど、なにやらメンタル系の不調のようで、しばらく休職するとのこと。

偶然ではありますが、身近でこんなに重なると、果たして呪われているのではないかと、おかしな不安を覚える今日この頃です。

自分のチームは7人いるのですが、そのうち二人いなくなったことになります。
しかも一人はベテランの主任なので、かなりのダメージで、ただでさえ忙しい時期なのに、ますます混迷を極めております。

その人は、最初にずっと同行して色々教えてもらった上司なので、けっこうビックリしました。

ひどくおっかない人でしたが、けっこう頼りにしてたところがあったので。
そういう不調で突然休職だなんて、全然想像できなかったです。

おかげで、その上司の持っていた分の現場を、今自分が代わりに担当しています。
クレーム現場の対応などもあって、自分が上司のクレームをフォローするなんて、順序がまったく逆だと思うのですが、まあこういうときは助け合わないと仕方ありません。

今まで経験したことのない忙しさを迎えているようで、そのうちぶっ倒れそうな気さえしますが、まあこんな駄文を書けているということは、まだまだいけるのだと思います。


明日は通常出勤です。実は明日、誕生日ですが、敢えてそういう記念日に、気合で仕事して、夜遅くまで残業してみようかなと思ってます。

忙しすぎて、こういうのが、所謂世に言う「社蓄」とかってやつなのかな、とも思いますが、別にいいです。
嫌々「社蓄」とやらに成り下がるのは嫌ですが、今やってる仕事は、忙しいけど楽しいので、やりがいもあるし。

家に居ても誰に祝われるわけでもないし、それなら仕事しますよ。そういう誕生日も、たまにはいいでしょう。


最近忙しくて気持に余裕がなかったりします。

「忙」という漢字は、心を亡くすと書きますが、将にそれを実感しています。

そういうとき、考えが錯綜しているのか、どういうわけか思考が哲学的な方向にいったりして、「存在とは何か」とか「認識することとは」とか、そういうひどく難しいことを考えたりして居ます。

「~がある」の「ある」の意味が気になって、辞書で調べたら「存在すること」とありました。
次に「存在する」の意味を調べたら、「事物があること」と出ました。
考えが堂々巡りになって、それからずっと気になって仕方がないのです。

というわけで、ハイデガーの「存在と時間」を、ちくま文庫版で買ってみました。

これは以前岩波から出ているほうを買ったことがあるのですが、ちんぷんかんぷんですぐに投げ出しました。

でも、ちくま版はすごく面白いです。

存在するとはどういうことか、これは突き詰めると時間と関係がある、とハイデガーは言っているようです。
どういう風に時間と連関するのか、それをこれから読み進めていくのですが、ワクワクします。

今度の日曜には、ニーチェの「人間的な、あまりに人間的な」という本も届く予定。


昔、親がクリスマスプレゼントとやらで、絵本を買い与えてくれたことがありましたが、そのときはひどくがっかりしたものです。
本なんかより、オモチャが欲しかったので。

でも今じゃ、誕生日の自分へのプレゼントで、そういう難しい本もオツなものかな、なんて思っているのだから、人は時間が経てば変わるものですね。

さいなら。




PS.
あいうえお、って言いますが、なんで「あ」の次は「い」じゃなきゃいけないのでしょうか。
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