関ヶ原関連の内容が続きますが、争うこと、自分の考えを貫いて他人様に押し付けることなどが司馬遼太郎さんの『関ヶ原』から散見されて前々職の中小企業の(糞)会社ことがふと想起されました。
これは、表立った争いはありませんでしたが、個人は随分色々いわれてこき使われて嫌な思いをしました。
鉄鋼業で、全く巧く出来ず苦しみました。4年6ヶ月慣れませんでした。
その間、誰とも争わず必死になんとかやって参りましたが限界が来て辞めました。
力づくで手前を顎でこき使う輩ども。
なんとか不器用にやりくりする個人。
その限界値が達した時に機械に挟まれて左腕を骨折しました。
その入院中からブログを始めた次第です。
それから居心地が悪くなって社長との間がぎくしゃくして針の筵のようになって退社いたしました。
精神的に憎んでいても、個人は物質的には下ですからやいのやいのいわれて追い込まれるのは目に見えていましたし、お給料も得てして増やして下さる気持ちは最後は皆無でしたから一生居たくない、働きたくないと思いました。
その無用の争い、心理戦の中に身を投じてお給料日だけを楽しみに待っていても虚しいのみで精神的には疲弊しました。
羽柴筑前の晩年のように振る舞う○川社長も正直好きにはなれず、離れて良かったと今思います。
比例して跡を継がせたいとしている輩は、これまた会社の人間からは評判が悪く嫌われています。
働かないで楽をしようとしている、口の巧く実の無い横柄な者を後継者にしたい。
人を大事にしない、見下している、ケチで自分のことしか考えていない者が社長になろうとしているとは……。
それが社長と後継者と個人は若干繋がりがありますがすみません、会社は倒産するでしょう。否、するべきです。社会に必要がないからです。
食べ物を大切にしない。
人を陰で「あの莫迦は」という。
機嫌の良い悪いを態度に出す。
……このような者の会社が先行、栄える筈がありません!! 不要です。要りません。
あの時の怨恨を……今度は汝らが味わう番である。
…………
毎日の争いから離れて良かったと再三こちらで書いております。
退社してから2年後の今日、次は派遣契約の終了と派遣先が皆無という状態になり難儀しましたがあの時の労働条件と日々の喧騒を思えば今は幸せです。
関ヶ原の様々な思惑思念から昔の勤務先を思い出してしまいました。