先般、靖國神社に参詣した旨を書きました。
時おり偲びます。かの御仁は伊藤や井上、山形の長州の衆(桂小五郎は……維新後はぱっとしない印象)の比ではなく、才気、器、何より人柄の点で抜きん出た人物だと個人は感じ、欲得ずくで政を云々するタイプではなく、誰よりも徳川家以降の日本の体制を真に慮っていた逸材だったのではないでしょうか。
その後比較的近くにある紀尾井町で大久保利通卿の終焉の地だったことをふと思い出しました。
地図で確認しますとなんと時間潰しのために知らず散策していていました。
時おり偲びます。かの御仁は伊藤や井上、山形の長州の衆(桂小五郎は……維新後はぱっとしない印象)の比ではなく、才気、器、何より人柄の点で抜きん出た人物だと個人は感じ、欲得ずくで政を云々するタイプではなく、誰よりも徳川家以降の日本の体制を真に慮っていた逸材だったのではないでしょうか。
生活も質素で身を慎み、勤勉であった大久保卿を1878(明治11)年5月14日に失ったのは日本にとって痛恨事であり、今に続く長州派閥で固めた日本人が普段意識しない支配体制(=苦労しないで楽な職種に就き、人の上に立ってよい生活を保障され、身分を与えられる不文律のシステム→アメリカやフ○ーメイ○○の犬ということです)に鉄槌を下して、公、公正さに徹していたことは想像に難くありません。
西南の役で西郷隆盛卿を、そして紀尾井坂の変で大久保卿を失ったことが今さら書きながら何という損失だったことか! と今、令和になって、骨抜きにされて彼らのいいなりで顔色伺いばかりして下々を顧みない政治を見て虚しくなります……。
個人は侍贔屓ですから明治維新は好きではありませんがただ大久保卿や西郷隆盛卿は人としての出来栄えが余りにも素晴らしいので認めざるを得ませんし、日本の誇りだと思っております。
無意識にお伺いしていた大久保卿の終焉の地……。ありがたいことです。 改めて偲びます……。
余談ですが、未だに大久保利通卿と申せば、1988年の大河ドラマ「翔ぶが如く」で鹿賀丈史さんが演じた大久保卿が想起されます。鹿賀さんがハンサムで雰囲気もお姿も大久保卿の写真を思わせるようでした。
西田敏行さんの西郷隆盛卿役、田中裕子さんのいと役も味わいがあって個人が好きな大河ドラマです。
また余談ついでにその後、大久保卿の業績を讃えて「大久保公神道碑」が建立されました。明治、大正期の大書家、日下部鳴鶴の書です。
……菅義偉氏が当世長州派閥ではない方⁉︎ が首相になられましたが……氏は繋ぎ……でありまた長州派閥の流れがくるのか、隠れ朝○人が就くのか(長州派閥も朝○人の系統といわれています)…。
ともかく、大久保卿のような方を希望したいところですが……。