昭和16年に改定された国定教科書のお手本を揮毫されたのは、井上桂園先生です。
時折、井上先生のことはブログ内で少しお話しております。
国定教科書は言葉だけで、揮毫されたお手本を貼りつけていませんでした。
昨日、漸くスクリーンショットのやり方が分かりましたので本日改めてご紹介いたします。
どうしても、昭和8年の鈴木翠軒先生版が世に名高くかつ認知度も高いのでそちらに意識が向いてしまいますが、個人は広島市内で学生時代お習字を少しだけ学び井上桂園先生には直接ご縁はありませんでしたがその凄さはよくよく承知しているつもりです。
井上桂園先生は戦後教育に力を注がれた方でしたので、芸術としての書家というお立場ではなく人々を薫陶される道を歩まれた、人材を育てる道を歩まれた偉大な書家です。
だからといって、教育書道的なコチコチの器の小ささを感じるような、枠にはまったお堅い作品を遺された訳ではありません。
古典派然とされた、人様からお伺いする真面目で温和な人柄と相まって前衛的な感覚はお持ちではなかったようですが、書の真髄を体現されたような方だったと思います。
戦前、国定教科書の手本作成には命がけだったと聞いております。実際、つけ狙われたこともあったそうであるところに匿われて揮毫されたそうでございます。
では、下にAppleにある電子書籍アプリのKindleで一部閲覧可能ですが改めて皆様にご紹介いたします。
以下画像は全て拝借いたしました。
いかがでしょうか。
鈴木翠軒先生のお手本と比べますと、線の質は温和ですが、どちらがどうこうという話ではなくいずれも素晴らしいと思うのであります。
ご縁がらみで井上桂園先生のお手本を贔屓しますと、より習いやすいように意識されたように書かれていることが分かります。しかし、どなたもお手本通りには到底書けないのです。
お手本から伝わってくる凛とした姿勢は、実に気持ちが良く高潔なお人柄そのものを写しているように感じます。
この所謂井上本が戦後から現在まで続くの教育書体の礎を定めたといってよいでしょう。しかし、以降鈴木翠軒先生、井上桂園先生のようなお手本は誰をも書けていないでしょう。
卑近な例ですが武田○葉先生のお手本とは次元が違います。
それまでの和様のスタイルから脱却してより楷書体が日本人に浸透していきましたが、戦後、全く逆に筆文字そのものが不必要となって字が書けない、和様体が読めない、理解できないという皮肉な様相になってしまった面もあるようです……。
鈴木本も井上本も鍛錬主義の昇華を物語るかのような、昨今の美文字という言葉よりも重く、品位があり、古典に立脚された美しいお手本だと思います。
武田双○さんはじめマスコミが取り上げていらっしゃる先生方の書を見てすみませんが嗚呼、レベルが違い過ぎると感じます。