3月から部署異動と、久方振りの夜間勤務の始まり……。
考えただけでうんざりしますが、意外にも今までよりも負担は減るようで助かっています。
しかし、本当は今の部署にずっといたかったのもありますが、上長が変わって色々やり方を変えてきて振り回されて負担になることが増えてくたびれていました。
負担を感じているのは……私だけ? と思う時もあります……。
その上長は決して嫌いではなく寧ろ真面目でよく目が行き届く細やかな配慮もできるすこぶる優れた方だと思っております。
その中でこの度の部署異動。
異動先も上長の管轄下ですが、普段は一気に減るのではないか、と考えています。
3グループで部署を回していますし、今までよりも勤務時間は少し減りますし、様々な行事に参加しなくても良いようになるようですから助かります。
考えようですね。
さて、今日、今お世話になっている部署の責任者(先述した上長とは別の方です。こちらの方も温和で仕事の集中力たるや素晴らしいと思っております)が、今での個人の労を労って食事会を……とお話がありましたが、突っぱねました。
居なくなる訳ではないので、そのようなことはしないでくだいさい(お気遣いのないようにされてください)、と突っぱねました。
すみませんが、食事会なんてとてもではありませんがあからさまに申して、要りません。
そのような場で今さら何を話せばよいというのでしょう。
考え過ぎ、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、すみませんが個人は気を遣います。隣に誰が座るのか、食べ方、クチャラーになっていないか、相手に不快なマナーをしてはいないか、肝心の人の会話、相手が何を欲しているか、どのような話題を提供すべきかそしてどのように返答すべきであるか大いに気を配らせる必要性を感じますから、食事会などという場は普段の勤務よりも疲労しますから必ず欠席するようにしています。
本当に……楽しいと思える集まりは皆無なのかもしれません……。
個人は時として、ベートーヴェンの4番の交響曲の1楽章の展開がどうとか、ブルックナーの9番のスケルツォの主題のトロンボーンのフォルテを強く印象的に頭で響かせたり、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番の爽やかなフィナーレを思い出したり、はたまたシューマンのピアノ協奏曲の冒頭を何度となく思い出しては素晴らしいと嘆息したり、ショスタコーヴィチの5番や8番、10番に思いを馳せたりして……
すみません、人と会話するくらいなら音楽を拙宅でぼっちで愉しんだり、脳内で1人会議をする時間がどれだけ有益なことか計り知れません。
上記のことを人に話しても、音楽の素晴らしさを話しても無意味だと思いますし人に個人を分かってもらおうなどと全く思っておりませんので食事会という名のコミュニケーションは不要です。
本当に人と話すことが年々減ってきて、人とのコミュニケーションが不要になってきました。
平生無口で間違いが多々ありながらも必死に作業をこなして人の会話、コミュニケーションなどほとんど興味を示さずに日々勤めてきて、飲み会にすら参加すらせずにいた中で食事会をしていただいても困惑するしかありません。すみません。
社員さんたちだから食事会が嫌、ということではなく1人で黙って過ごす時間が大切であり皆で食事をする時間が性格が悪いですが無駄のような気がしてなりません。
お前は誰からも誘われないのによく断れたものだな
といわれても構いません。気を遣いますし、人の集まりに疲労します。嫌なものは嫌です。コミュニケーションなど不要です。
失礼ですが突っぱねてよかったのだと思います。
異動先でも歓迎会などの話が出た場合も理由をつけて断るでしょう。