オーストラリアで大旱魃があり、気温も46度まで上昇したというニュースを目にしました。
干上がって動物たちも飲み水がなく死んでいます。
すみません、素人の発想でしかありませんが塩水を飲み水に変換できる機械が今文明の利器の恩恵を受け実際にあり、何故それを海に囲まれたオーストラリアにたくさん設置して利用しないのか、はたまたマスコミを通じて情報を知ることができないゆえにその機械が利用されながらも意図的に不安を煽るようにしてマイナスの情報しか提供していないのかと勘ぐってしまいます。
いつまで選民思想的な考え、自分たちだけ良ければという社会の運営の仕方、経済の動き方があるのかと1人憤慨する時があります。
オーストラリアは留学先でも旅行先でも我々日本人は親しみのある国という認識をしております。
時折、今回のように大旱魃のニュースを目にしては塩水を飲み水に変換できる機械を何故利用しないのか……と子どものように思いを馳せています。
変換機が応用されることによって、動植物は元より人間も助かるのではないかと思いますがそのような単純な話ではないのでしょうか。
それとも、利権や自然災害があった方が大いに儲かる人非人(にんぴにん)たちがいて、暗躍しているのでしょうか。
いつまでただの数字を追うだけの経済が罷り通って地球をダメにするような行いが常識として人間に存在するのでしょうか。
諫早市の干拓地の問題も、自然の問題以上に人間の都合、死活問題が常に横たわり全く解決がしません。
水門を開ける開けないと年中騒いでいます。これまた素人考えで恐縮ですが、悪臭が漂う水面の方はブクブクと空気を送り込み泡を立たせて水中の環境を循環させれば悪臭は直ぐに解決しないにしても長期的な視野で見れば必ず成果はあると思います。
随分前にヘドロで悪臭が漂う池を上記のように池に空気を始終送り込み泡立たせている対策をしている様子がテレビでありました。
諫早干拓の問題もこれで行けそうな気がしますが……。
自然には逆らえず支配はできませんが共生、共存はできる筈であり、20世紀に物を大量に消費した世紀を経て、消費に無駄に使用した資源を今度は再生させる時代ではないかと思います。
そして、物を持たないというシンプルな生活と思考が少しずつ人々が意識しているように感じます。
しかし、その環境を整える意識が求められながらも判然としない社会の在り方と大衆心理の愚かさ。
購買意欲を今もなお掻き立てるような商売の在り方と出来るだけお金を使わせるプロパガンダ……。
まだ定まっておらず人間社会は混沌としたありさまを呈しています。
巡り巡って、ぐるぐる全てが循環する中に動植物は生きていますが、実際それを感じることは少ないかもしれません。個人の思いが小さいからだと思います。
しかし、心痛するようなニュースを目の当たりにしますと、隅々にまで目が行き届く世の中であってほしいと願います。
良いように捉えるならば、悪いニュースがあるからこそ物事が発展して人の思考はより崇高になっていくので必ずしもマイナスで救いようがないということはなく、神仏が道を示してくださっている場合が多分にあるのかもしれません。
すみません、長くなりました。