以下の内容は正直醜い内容です。こちらの方を暗喩的に批判したことではございませんのでどうぞご了承くださいますよう、お願いいたします。

場合によっては個人の人格も疑われるかもしれませんが敢えて書いております。


早速、こんなことを書いては……と思いつつ書きます。自分の内側に醜さが多分にある証でしょうから、どうしようもない愚かな奴よ、とお笑いください。

宗教をしている人間……の矛盾をずっと20代の頃から持っています。

色々教えから学び、実体験から学びそれから人間性が磨かれより高みに達するという一連の流れー があろうと思います。

そうして、より周りにも気遣いをする、施すということができる人間になるようになるのが神様のご意向の1つと思います。

しかし、それをしない人間ばかりだとつくづく改めて思うのです。

私の鏡なんでしょうか、全くしない。ご自分の家族とご自分だけの安寧と幸福だけを追求しているかのような、更にはご自分がその教えをマスターして神様の代行者になっているかのような振る舞いと、嫌な気概を感じて憤慨しています。

卑しいのは個人です。暇ですから吐かせてください。
罰当たりであることも承知しています。


決して駆け引きをしている訳ではありませんが、賀状1つ、私には身分が低くてやってもやらなくてもという打算を感じてしまい所詮その程度の信仰と気持ちしかないのだと前から痛感して初期の拙ブログで再三批判していますが再び吐露したくなった次第です。


それで地上天国とかパラダイスとか、世の立て替えとか最高道徳など叫ばないで欲しいと密かに思いました。

賀状が欲しい、お歳暮が欲しかったできればお年玉もらということではなくその信仰者の程度、1番大事にすべき心を問うています。

結局、労力もお金も心もご自分たちが信仰されている神様にのみ使いたい、ということがあからさまに分かっていました。

外に外にと求める信仰……。なにが良いのでしょうか。苦労して苦労して昔のキリシタンのように迫害されて、それでも浄化と思って感謝して……。

でも、違うのです。人様にしないのはやはり苦しいし、世間に色々色々いわれて悲しい。その上、御玉串料をごっそりご奉納しているのに、なぜ!! という理不尽さが彼らの心中にあると思います。だから舌先三寸、で全く心は全く救われないということが側から見えてしまい愚かさを正直感じてしまいます。

アメーバブログでご縁のある方々にはより細やかで人様思いで自然神様と共におありで素晴らしいと感嘆する方もいらっしゃいます。むしろ神様を信仰されて心身ともに豊かでご立派だと感じることも多くあります。

しかし、アメーバブログの部外の個人に縁のある信仰者は所詮ご自分たちの都合でしかないと。

彼らの力では全く世の中はグレンとひっくり返ることはないのだと。


それでも彼らは個人よりも清らかできっと徳積みもたくさんされていらっしゃるのだと思います。しかし、なんだか納得いかないし、神様、神様とダシにしているようで……。その信仰者を考えるにつけ心中騒いでしまいました。

見苦しい、醜いのはこれを書いた個人です。すみません。