今、シューベルトのピアノの作品を聞いています。
そこでふと思いました。この人は大衆迎合のために作品を書いたわけではないのではないかと。自分の暗鬱とした部分を多分に作曲に盛り込んだのではないかと感じます。
考えればシューベルトくらい自己表現の優れた作曲家はいないのではないかと。始終自分の心の色合いを音楽にしただけ、のようなやるせない暗さがいつも漂っていますから一歩彼の心象に近づけたのではないかと書きながら自己満足しています。
生前、真の作曲家になれないもどかしさと不遇さ。生涯これが付いて回っていますが作品の質から決して表に大きく出られるような感じではないのではないか、と思います。長生きしていれば別ですが、自身の枠(それは天才すぎてシューベルト自身も気付けないような、気付いても諦観していたかのような心情)からはみだせなかった作曲家だったような、作品はほとんど自身のために書いたかのように聞こえてならないのですが無知すぎでしょうか。
ピアノ曲、ピアノソナタ第19番(ルプーさんの演奏)と楽興の時を聞いていますが天才が自身の才能を弄んで解放されることがないような自縄自縛的な不気味な要素をふと感じました。
音楽で自分を呪うとまでは言いすぎですが、周りに理解されないんだ‼︎ という辛さが訴えてくるかのように感じます。
シューベルトさん、あなた、心持ちがよくなかったのではないでしょうかと、心中で会話しました。
モーツァルトのような享楽がない。ベートーヴェンのような人々を引っ張っていく要素がない。ハイドンのようなユーモラスがない。メンデルスゾーンのような爽やかさがない。これは暗のシューベルトに視点をおいて申しています。
当時の人々がポストベートーヴェンとして認識することはないような気概が分かったような感じです。
決して優れていないという話ではなく自身の内側にひたすら向かって作曲していた天才、ですから死後に周りは凄い作曲家がいたものだと気づいたのではないでしょうか。
あまりにも自己本位な、世界観が狭いような ー旅をよくしていた割にはー 気がします。
シューベルトの人間像を知りたくなりました。