三筆の1人にあげられる橘逸勢(たちばな〔の〕はやなり)。書蹟は殆ど遺されていませんが、数少ない書、伊都内親王願文(いとないしんのうがんもん)(かっこつけていいますと、願文は所謂御物です)を目にするだけで三筆になるほどの器量が察せられるのはお分かりになるかと思います。

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少しだけ載せましたがいかがでしょうか。テクニックの凄さが伝わってきませんでしょうか。速く一気に運筆している字や、筆を重く沈めて書いた字もあり多分に表情豊かな書の世界が拡がって、ため息が出ます。

私も時折憧れでまねします。下は幾つかまねて遊びで書いてみました。私の字がいかに拙いか恥ずかしいですが載せます……。

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まねるといかにすぐれたテクニックの持ち主かが理解できます。文字の形がいびつなものもありますがこれはよい意味でいっています。書いてみるとなかなか、このように書こう、語弊があるかもしれませんがデザインしようという発想が生まれるものではなく、橘逸勢の天性が多分にあったことの証左に他なりません。

当時の中国、唐の時代ですが果たしてこのようなテクニックを持った方がいたのかは分かりませんが、空海が双璧となるのでしょうか。しかし、橘逸勢の遺された書が少ないのでなんとも判断はできません。

伊都内親王願文の臨書は……無理ですね。そこまでの域ではありません。あまりにも凄すぎてとてもではありません。なかには、ご立派に臨書されている方がいますがよほどな方だと思います。

鈴木翠軒先生が国定教科書ご揮毫時に願文を見事にそれは文字の形も気分もそっくりに臨書されたコピーを私は持っていましたが母がどうやら捨てたみたいで……。先生がお持ちで先生もコピーさせてもらったといっていました。それを私もお借りしてコピーさせてもらって……。悔やまれます。もう1度拝見できないかと。素晴らしい臨書でした。

橘逸勢は当時遣唐使 留学生(るがくしょう)として空海と一緒に渡唐しています。橘秀才(きつしゅうさい)と称されたほどの人の天才だったそうです。

詳しくありませんが、政変に巻き込まれて嵌められて彼は伊豆に流される途中に籠の中で亡くなったといいます。怨霊になられたとか。身分でいったらたかだか従5位くらいの官位の方がなぜ……と思いますがその豊かな器量のせいもあったのかもしれません。

伊都内親王願文はとかく今もって斬新な書で豊かな感性の発露を感じます。目習いは忘れないように。そしていつか臨書できるようにと願っています。