今さらですが、明智光秀公は賢い方で決してご短慮をなさるような方のようには思えません。

なぜあのようなことを……。右大臣家に激しい怨みがあるのでしたら、その場で始末する距離にいたでしょうし、永遠に裏切者のそしりを受けることは理不極まりないように感じるのは私だけではないのではないかと思います。

突発的に思いついたには時間的に長さを感じますし、逆に練りに練った謀略にしてはその後の浅ましさが惟任日向守らしさが全くなく泥沼になりそうで……。

織田家としての右大臣ではなく、個人としての右大臣を考えていたのならあの事変を考えられますが、一族郎党の将来を考えるとあまりにも短慮ではないかと思われてなりません。

しかし、1つ。明智光秀公は本能寺のことは全くタッチしていなかった、としたら妙に納得いたします。
1つ。羽柴筑前に嵌められたのではないかと今さらながら思うのです。細川親子はグルでしょうね。

歴史は勝った者が創造します。戦後しかり。右大臣家の亡き後は羽柴筑前が歴史を創りました。天皇のご落胤という話しまで創らせているのです。
徹底した惟任日向守を悪者、裏切者にしたてそれを懲らしめた羽柴筑前というイメージを世間に知らしめたような印象が強いです。

ずる賢い羽柴筑前。織田家を上手に崩壊させたやり手です。彼の驚嘆な頭脳の前では誰も敵わないのではないでしょうか。上杉謙信公のように戦に強い印象ではありませんが、先を読む 先見の明たるや当時1番ではないかと思います。

惟任日向守は筑前と違い教養が深く礼法を修めた方、シティボーイのような印象があり、がっつかない穏やかさがあり無骨さとは無縁の武将だったのではないでしょうか。

そのような深い穏やかな思考の持ち主が果たして、その後孤立無援になるような短慮をするのかしら……と。

諸説紛々としていますが、おそらく無罪のはずです。なぜこのようなことを書いたかよくわかりませんが、なんとなく自分なりに本能寺の事変が気になっていました。