目が醒めた。隣のおじいさんがポータブルトイレを使用されておられたので。十分寝たし、又昼寝するか。朝は得意だし、早起きが好きになった。気持ちが良いから。

それに満たされた強い思いも持続できているから最高だと褒めてやらなくてはならない。私はできるだけ人を褒めるようにしているし、認めることがいかに支えになるか大切か見えたから。しかし、世の中草臥れた人が多いのかなかなかご自分のことで手一杯な方が多くて面喰らう。ご褒美、と言う言葉、申し訳ないが使いたくない。あれ?皆さんのお陰様であなた方はがんばれたんじゃないの?と思う。盛んにご褒美、ご褒美。豊かでいらっしゃるのは察しが付くが周りに対してのお陰様の精神はないのかしら、と至らぬ世話ながら遠慮なく物言いを出す。

でも、その草臥れた周辺から卒業できる……と胸を躍らせ、ワクワクする。草臥れた世界を癒す為に。互いに思いやる精神を土壌に蒔く為の卒業。ヒーラー、カウンセラーの先生方は沢山いらっしゃるから私はなる必要性はないが、自身は自身を完全に癒す事が可能なのは拙ブログを読んでくださる方には認識されていても損はないかと思われる。自身が最高の名医なのである(ルイジ コルナロ 『無病法』より)。

お薬の使用過多だとはっきり警鐘を鳴らしたく、もっと人間は自身の身体を治す自然治癒力が本来備わっている筈であるが、医療もビジネスならざるはなし(貧困ビジネスも信じられないがあるらしい。○○○スさん、貴殿は偽善者?東北大震災の時、真っ先に寄付しなくてはならない立場なのに、ノートの切れ端で鶴を折っただけで炎上。しぶしぶ1000万円出したとか……。悪くは言わないけどね。ブログで批判されていた。)ということで薬漬けになっている患者さんが気の毒だが沈黙しておく。本来の人の持つ力をDNAから引き出すような治療を心掛けても良さそうだが、苦しい症状だけを見てお薬を出す。治るから結構だが、身体も悪いところを内部を清掃する為に痰やら下痢やら、発熱、風邪の類の症状となって現れた作用であることを知っていた方が良いと思うが……。常はやはり少食を心掛けていた方が良い。案外楽なのだ。
少しずつ薬で治す、手術して治す方法が減ってくれれば良いと淡い期待を抱きつつ。

満たされた強い思い、から医療関係に話が移ったが又眠くなってきた。今日も読書しながらブログも書けたら良いがなかなか話題が同じだから申し訳ない。脳内の出来事を提供するだけだから、詰まらない、無駄に長いだけかもしれない。

しかし、必ず進展はあるはず。