皆さんは素晴らしい品に出逢って、もう、他のものは良い、要らない。生涯これで充分だ。となったご経験はあるだろう。私も1つ、2つある。得意のCDの、クラシック音楽の話だ。
クリスティアン ツィマーマン(最近SHM-CDで発売された分はツィメルマンの表記だった。こちらが、発音が近いのだろうか。)弾き振り、ポーランド祝祭管弦楽団のショパンのピアノ協奏曲1、2番。繰り返しになるが、中毒のようになった。沢山聞かないが、表情の濃さに唖然として、評論家の先生方がそのオーケストレーションの弱さ未熟さが目立って云々と言われているが、どうだろう、1番の深い深い深呼吸の後に柔らかく展開される冒頭部は、重いではないか。初めての経験。以降他を受け付け無くなった。重く美しい。後にジュリーニさんとの初回録音盤も聞いた。こちらも重厚さと、爽やかさが織り成す立派な演奏だった。ジュリーニさんのバックも光る。
しかし、この弾き振りはどうか。2番など更に溜める部分、全休符の強調があったりして、癖になってしまう。アルゲリッチの一気呵成に進めるピアノも魅力的なんだろうが(すまない。私はアルゲリッチの音質が苦手。熱心な聞き手ではない。あまりにあまりに技巧的過ぎる、巧過ぎると感じる)、ショパンを丁寧に慈しむツィマーマンの姿はどうか。美に沈められそうではないか。7、8年はこの盤以上に必要性を感じず、一途な思いだった。
加えて、アバド、ベルリンフィルのヴェルディのレクイエムのCDも初発売からこちらは10年くらいは他のCDの購入をためらった。あまりに凄すぎて……。その凄すぎで2枚目をなかなか聞ききれなかったくらい。押し迫る何かに対峙できなかった。楽譜も読めない、レクイエムも歌えないのに何いってんの 馬鹿じゃないの。いかさま。馬鹿かも、自己満足かもしれないが、その演奏会はテレビでも放映されたがアバドの胃癌で痩せた姿が何とも痛々しく大丈夫?椅子は要らへんだ?と案じられるくらいだった。ベルリンフィルの燃えようたるや火の玉のよう。テンポが遅い訳ではないのに油絵のようなベットリした部分があって、聞いていて重くて辛くなった。2001年の5月中旬にNHKで放送があったものを見たと記憶する。何だろうか……。演奏は言うまでもなく、素晴らしかったが、重いものを遺したまんまだった。アバドはお元気そうだったから見納めではないのは見て取れる。不謹慎だがその年の9月11日……ああああ……。あんた、考え過ぎだよ。余程暇かとばい。おっぱいの大きか姉ちゃんば想像してオナニーして黙って寝とけば良かったい、やかましか(普段私はこのような言葉は一切使わない。下品ではないつもり)。不謹慎で今さらだけど曲が曲だけに、怒りの日と重なって……。私自身の思念の中の重い思い出だ。一方でとある人がそんな病身からの復活したアバドの演奏を「地を足にしっかりを踏んで空を仰ぐような演奏‼︎(図書秘書をしていた方の言。詩人だ。秀逸な表現)」だと評価。むべなるかな。そうね……アバドは1度くらい演奏会に行けそうに思っていたのに……。もっと長く生きてくださると信じていたのに。ルツェルンとのモーツァルトのレクイエムを見ておや?腕が上がらなくなったな。お年だからかな、と言う違和感は漠然とあった……それが……。
沢山聞けるCDではない。2枚目に手を出す勇気がないのである。余談ついでにマタイ受難曲も全部聞けなかった。エヴァゲリストの叫びがキリストの死に向かって話を進める音楽があまりにも重い。3枚目のCDに手が出せなかった……。あんた、楽譜も読めん、ドイツ語も解りゃせんのに、はぁ、インテリぶって格好えぇ思うて、何でも書きゃえぇ思うたら間違いやけぇね。黙って寝んさいや。確かにそうだけど、感じるもの、思うものは書いておけば良いのだ。例えば、ガーディナーの新盤、ブリュッヘン盤あたりを

克服して何とか最後まで聞けたかな。最近はコープマン盤などは好きかな。
ただ、クレンペラーとリヒターのは無理……。重い。若僧だからその崇高な演奏についていけないのかもしれない。徐々に聞かせてもらうか。
クリスティアン ツィマーマン(最近SHM-CDで発売された分はツィメルマンの表記だった。こちらが、発音が近いのだろうか。)弾き振り、ポーランド祝祭管弦楽団のショパンのピアノ協奏曲1、2番。繰り返しになるが、中毒のようになった。沢山聞かないが、表情の濃さに唖然として、評論家の先生方がそのオーケストレーションの弱さ未熟さが目立って云々と言われているが、どうだろう、1番の深い深い深呼吸の後に柔らかく展開される冒頭部は、重いではないか。初めての経験。以降他を受け付け無くなった。重く美しい。後にジュリーニさんとの初回録音盤も聞いた。こちらも重厚さと、爽やかさが織り成す立派な演奏だった。ジュリーニさんのバックも光る。
しかし、この弾き振りはどうか。2番など更に溜める部分、全休符の強調があったりして、癖になってしまう。アルゲリッチの一気呵成に進めるピアノも魅力的なんだろうが(すまない。私はアルゲリッチの音質が苦手。熱心な聞き手ではない。あまりにあまりに技巧的過ぎる、巧過ぎると感じる)、ショパンを丁寧に慈しむツィマーマンの姿はどうか。美に沈められそうではないか。7、8年はこの盤以上に必要性を感じず、一途な思いだった。
加えて、アバド、ベルリンフィルのヴェルディのレクイエムのCDも初発売からこちらは10年くらいは他のCDの購入をためらった。あまりに凄すぎて……。その凄すぎで2枚目をなかなか聞ききれなかったくらい。押し迫る何かに対峙できなかった。楽譜も読めない、レクイエムも歌えないのに何いってんの 馬鹿じゃないの。いかさま。馬鹿かも、自己満足かもしれないが、その演奏会はテレビでも放映されたがアバドの胃癌で痩せた姿が何とも痛々しく大丈夫?椅子は要らへんだ?と案じられるくらいだった。ベルリンフィルの燃えようたるや火の玉のよう。テンポが遅い訳ではないのに油絵のようなベットリした部分があって、聞いていて重くて辛くなった。2001年の5月中旬にNHKで放送があったものを見たと記憶する。何だろうか……。演奏は言うまでもなく、素晴らしかったが、重いものを遺したまんまだった。アバドはお元気そうだったから見納めではないのは見て取れる。不謹慎だがその年の9月11日……ああああ……。あんた、考え過ぎだよ。余程暇かとばい。おっぱいの大きか姉ちゃんば想像してオナニーして黙って寝とけば良かったい、やかましか(普段私はこのような言葉は一切使わない。下品ではないつもり)。不謹慎で今さらだけど曲が曲だけに、怒りの日と重なって……。私自身の思念の中の重い思い出だ。一方でとある人がそんな病身からの復活したアバドの演奏を「地を足にしっかりを踏んで空を仰ぐような演奏‼︎(図書秘書をしていた方の言。詩人だ。秀逸な表現)」だと評価。むべなるかな。そうね……アバドは1度くらい演奏会に行けそうに思っていたのに……。もっと長く生きてくださると信じていたのに。ルツェルンとのモーツァルトのレクイエムを見ておや?腕が上がらなくなったな。お年だからかな、と言う違和感は漠然とあった……それが……。
沢山聞けるCDではない。2枚目に手を出す勇気がないのである。余談ついでにマタイ受難曲も全部聞けなかった。エヴァゲリストの叫びがキリストの死に向かって話を進める音楽があまりにも重い。3枚目のCDに手が出せなかった……。あんた、楽譜も読めん、ドイツ語も解りゃせんのに、はぁ、インテリぶって格好えぇ思うて、何でも書きゃえぇ思うたら間違いやけぇね。黙って寝んさいや。確かにそうだけど、感じるもの、思うものは書いておけば良いのだ。例えば、ガーディナーの新盤、ブリュッヘン盤あたりを

克服して何とか最後まで聞けたかな。最近はコープマン盤などは好きかな。
ただ、クレンペラーとリヒターのは無理……。重い。若僧だからその崇高な演奏についていけないのかもしれない。徐々に聞かせてもらうか。