一期一会。過去の思い出として印象に残っている一期一会がある。

指揮者の朝比奈隆先生の演奏会。2001年9月24日、大阪シンフォニーホールでの生涯最後の大阪公演でかつ最後のブルックナー 交響曲第9番だった。 

中学生の頃、ドキュメンタリーを見て小澤さん以外にも偉い指揮者がいらっしゃったのかと感心した。以来、当時からご高齢だったからいつか演奏会にお伺い、ご参拝できればと願っていた。後に、文化勲章受賞当方も嬉しかった。朝比奈先生が受賞されたんだなぁ、と深い感慨に浸り、誇らしかった。

しかし、NHKで拝見していた限り、小澤さん ボストン響、ベルリン、ウィーンのようにはいかず。大阪フィルのアンサンブルに失礼ながら閉口してしまった。プゥとホルンが裏返る音をたてる。トランペットも木管楽器も……。聞いている当方が冷やっとする。ブルックナーの難しいところだな。別に十八番のアルプス交響曲を聞いて金管楽器の悲鳴が悲惨だった。申し訳ないが。

そんな朝比奈先生が聞ける日はないのか。と学生の頃、ふと音楽の趣味が一緒でかわいがっていただいた先生が朝比奈先生の大ファンで朝比奈詣をしていて、最後のブルックナーチクルス ーこの時お亡くなりになるとは露ほども察知できなかったー を決行されていた時分で第5番を聞かれたお話しをお伺いした。やはりアンサンブルに問題があって木管楽器など冷や冷やさせられた、金管楽器も今ひとつ音が小さかったと仰っていらしたことを思い出す。先生はその後の第8番もお聞きになられたそうな。

そこでチラシをいただいたのだろう。記憶が無い。「朝比奈隆の軌跡」と題されたチラシ。わぁ、いいな私も行きたいなぁ、と思い、駄目元でシンフォニーホールに第9番の公演の残席を確認すると朝比奈先生がはっきり見える席が空いていますよ、とご親切に教えていただいて運良くとれたのである。お値段も良心的だった。

当日までワクワクした。憧れの朝比奈先生に生でお逢いできるー緊張感でいっぱい。意外と若い男女が多くてびっくり。朝比奈詣の親父さんらでいっぱいではないのか、と予測していたが都会の文化を受容する姿勢が素晴らしい。

さて、御大を初めて目の当たりにして、美しい白髪と凜とした端正なお姿、とてもではないが90歳過ぎのおじいさんではないのである。燕尾服がよくお似合いだ。勲章制度で胸元にしっかりとあった。格好良い。シンフォニーホールに入って来られた瞬間、空気が変わる。皆、ライブなり演奏会なり行かれたことがある人たちは察しがつくだろう。

厳かな曲だから、緊張した。アンサンブルに問題がなかった訳ではないが弦楽器の柔らかさ、ふくよかさはCDでは体感が難しい。たといSACDでも。しかし、高価なオーディオでは追体験が可能だったりして。第1楽章が終わった後、私の隣の男女のカップルの男性が「天国にいるみたいやなぁ〜」と呟いたのを思い出す。スケルツォはまずまず。ブルックナーのスケルツォは大好き ー特に1番、7番、9番。2ちゃんねるで斉藤由貴さんがNECのビデオデッキのCMに1番のそれが使われていたとあったのでユーチューブで先週末確認したら確かに使用されていた。感動した。ビデオデッキは約189000円だと。価値がすごいなあ。ファミコンカセットだって二束三文で売られているのだー だから、生で聞けて良かった。

最後の第3楽章は図らずも朝比奈先生のご遺言のようになったが、消えゆくようでお姿を暗示していたようで沈深な静けさをヒシヒシと感じ、遠い世界に朝比奈先生が行かれてしまう感覚を味わいながら……。確かに指揮されるお姿はお辛そうで何処かお元気がなくて心配した。よく左手を指揮台の手摺にあてていらしたのできついのかしら、と……。

曲が終了した後は、例によって出来栄え云々を超越してのスタンディングオベーション。やはり何処かぐったりしていらっしゃるようだったが、お逢いできて嬉しかった。今度は定期でブラームスの第4番 ーブラームスの交響曲の中でも私は3番が好きで第4番を愛してやまない。朝比奈先生自身、4番を「年を重ねると心の宝物のようになった」という秀逸な言葉で愛着ぶりを示していた。私は朝比奈先生からすれば小僧だがブラームスのシンフォニーは確かに生涯の友として愛聴していきたいし、楽譜が読めないが血肉となるまで愛好したいものだー をおやりになるのかと胸を躍らせて又聞けたらなぁと期待していた。

しかし、2001年12月29日にご逝去。次の日、朝比奈先生のことを知人よりお亡くなりになったことを知り朝日新聞のトップを切り抜いていただく。

泣いた 泣いた こらえきれずに泣いたっけ……

別れの一本杉ー春日八郎さんは良い声だ。イケメンだしなーではないが、悲しかった。泣いた。追悼にブルックナーの7番の第2楽章と、ベートーヴェンの全く同じ番号を聞く。特にベートーヴェンのそれ、不滅のアレグレットはご生前私が亡くなったらこれを流してと仰っていいたのを思い出し涙が溢れてとまらなかった。暫くして上記にあげた先生のお宅をお伺いすると、丁度追悼で最後のベートーヴェン チクルスの中の英雄交響曲の第4楽章があってそれを見た瞬間、涙を堪えきれなくなってシクシク泣いた。感動と悲嘆の感情が複雑にからんでもみくちゃだった……。

最後のブルックナーの前、絶好調で東京都響とのブルックナーの第7番、N響とのロマンティックと第9番などお元気そのもので私の自慢だった。身内でもないのに。ヴァントさんも、フルネさんもご高齢でお元気だったのが本当に嬉しかった。我々はかつてのハンス
フォン ビューローのように薫陶家に恵まれたのだ。そんなお元気そうだった朝比奈先生がお亡くなりになるだなんて……と所謂朝比奈ロスに暫くなった。年が明けて2002年のニューイヤーコンサートは小澤さんだったが複雑な思いだった……。

もう、朝比奈ロスはさすがにないし、故人に執着するのが悪くて申し訳ないが亡くなった文面を書いていたら、泣いてしまった……。私は所謂聴き専だが朝比奈先生は恩師だと思う。ブルックナーの8番だって今ひとつ理解できなかったがお陰様で身に馴染んだ。朝比奈先生がいらっしゃらなかったら一生理解できなかったろうな。

このブルックナーの第8番はN響との定期が印象に残っている。ラジオで聞いて今までの演奏とは比べものにならないほど素晴らしかった。NHK-FMで生放送を聞いた。ノートまとめをしながらきいたが素晴らしかった。豪放磊落。朝比奈先生が好んだ大きくて美しい音と、立派なアンサンブルだった……。

来年ご存命だったら110歳でいらっしゃる。カラヤン先生と一緒。アニバーサリーイヤーだから新譜に期待しようか。申し訳ない。無駄に長くなった。