クラスの全員の発達段階がそろっている、ということはありえない。
というのも、それを調べることはないから。
理解力が明かに高くても、日本では飛び級で小学生の年齢の子が大学に入れる、ということもない。
誰もが同じとか、誰もが平等とか、と言って
できる子もつぶし、できない子もつぶすってのは何への挑戦なのか、と疑問に思った。
できる子は、できることをさせてやりたいから飛び級できるように法律を変えればいい。
(いくつか大学も倒産しそうだから、きっと喜んで受け入れるはず)
できない子は、できることがあるから、やはりできることを使って考えさせたらいい。
どちらにしても、先生がやり方を教えて、それを覚えて終わり、というのは誰のためになっているのか、
保護者も考えなくちゃならない時代だな、と。
これがネグレクトでなくて、何なのか。
学校って何のためにあるのか。
この時期でも正直いって、オリンピックとか、どうでもよくて。
でも、スポーツの結果は気になっても、我が子が影響を受ける教育の内容には
興味がない保護者も多いわけで・・・
・・・そういう議論をしてたので、メモをしておく。