外食することは、少ないのだが、夫がいいお店があると、連れていってくれた。
そのお店は、ビルの五階にあった。
入り口をはいると、床は石造りだった。
私達は個室に通された。
藍染めだろうか、個室の入り口に、のれんが掛かっていた。
部屋のなかは、灯りを落としていて、とても落ち着いた雰囲気だった。
個室とはいえ、細かい木の格子越しに、店やカウンターの様子が見えた。
部屋には、野の花が、自然な雰囲気でいけられていた。
そして、おすしは、灰色のごつい器に盛られ、でてきた。
岩石を思わせる。
聞くところによると、ご主人のこだわりのものらしい。
狭めの入り口の和室、野にあるように自然にいけられた花、こだわりの器。
料理も、新鮮で品の良い味だった。
お刺身の下のツマもすべて、美味しくいただいた。
さらに、おすしを食べ終えたあと、残った海老の頭は、唐揚げにしてくれた。
とても美味しい。
おかわりをしたくなるほどだった。
お茶の茶碗やグラスは、胴がくびれていて、手にしっくりとくる、持ちやすいものだった。
お店の真心が感じられて、とても満足だった。
私は、この数日前に「 千利休と茶の湯入門」(日経PB)という雑誌を読んでいた。
茶室の狭い入り口は、帯刀して入れないように作られている。
つまり、身分を脱ぎ捨てるということを意味する。
野にあるように自然にいけられた草花はあるがままの命の姿を意味する。
そして、切り取ってしまうのではなく、その命を活かすのが生け花の心だ。
利休の有名な黒楽茶碗(くろらくちゃわん)は、手びねりの味わいのある形で、熱伝導は低く、持ちやすいように作られている。
そして、従来の主流だった美しい色柄の茶腕と違って、客人のどんな装いにも馴染むものだった。
主人は、お客様のために、茶室をコーディネートする。
客人は、床の間や、器を拝見する。
その際には、その物を褒めるというよりは、心遣いやセンス、発想に対しての感想、賛辞を述べる。
利休は、自然のあるがままのなかに、美を見出した。
地位や肩書き、華美な装飾や高級品の中に美を見たのではなかった。
この雑誌で読んだものは、この店にも当てはまるように思った。
心のこもる、おもてなしを受けたように思える。
しかも、シンプルさが心地よかった。
もっと美味しいものを、もっと上質なものを、と「もっと」を求め続けても、終わりがなく、こころが安定することはない。
凝れば凝るほど、もとの姿からはかけ離れた別物になってしまいがちだ。
しかし、本来のありのままの中から、引き出された良さは個性の美そのものだ。
他の物がたちうちできない、本物だ。
シンプルなものに囲まれることによってシンプルであることの潔さと、訴えかけるものの強さを感じた。
料理と共に、お店の世界観に触れた素敵な体験だった。