《慈悲  愛》

この地上界も大宇宙も

神仏の慈悲と愛によって動いている

人間もまた慈悲と愛の心を所有し

生きているものだ

正法という神仏の法にふれたものは

まず心を体しその意味をくみ

実践する者でなければならない

慈悲を法にたとえれば

愛は法の実践である

慈悲を神仏とすれば

愛は人間の行為を意味する

それ故、慈悲は万生万物に

無限の光を与えるものであり

愛は寛容にして

助け合い

補い合い

赦す行為という

間違えてはならぬことは慈悲も愛も

自ら助ける者には

その光は与えられるということである

その心のない者、実践をいとう者には

光は届かぬ

愛を求める者は 愛の行為を示せ

慈悲の門をくぐろうと欲する者は

法の心をくみとれ

末法の世を救う者は

正法であり、慈悲である

慈悲を生かすものは愛である

慈悲を神仏の縦の光とすれば

愛は横の光である





慈悲

神より与えられた自由意思

自由意思は神からの慈悲

この世の全ては神の愛の賜物

すべて神の愛情で出来ている

私たちも愛情でできている

与えられた自由意思
この世のすべては
神の愛情出できていることに氣づく

自由意思は慈悲の心

慈悲は愛と赦しがあり

すべてが佳きこと

それを感じ受け
『氣』がついた時…

懺悔…謝る

愛を感じ…赦しを感じ…

われ謝る


感謝

神の慈悲と愛に

『氣』づき

神の意思を意志とする

私たちは
慈悲と愛の中で
生かされ
生きている

常に与えられている
愛情の賜物に
『氣』づき
感謝し

与え
与えられ

生きてゆく


世界は美しい



『 長者の万灯より貧者の一灯 』

貧しい者のわずかばかりの
心のこもった寄進は
金持ちの豪勢な寄進に
まさるということ

真心のこもった行いの
尊いことのたとえ


古代インド、
マガダ国の阿闍世王あじゃせおうがあるとき、
屋敷から帰宅する釈迦のために、
その通り道に一万もの灯明を灯した。
それを見た貧しい老婆も
やっとのことでお金を工面して
たった一つの灯明を灯した。
すると王の灯明は消えたり、
油が尽きたりして、ことごとく消えたが、
老婆の灯明だけは
朝まで消えなかったという。






 

多くのモノを持つ者と持たざる者

そのどちらが幸せであろう

持つ者か 

それとも持たざる者であろうか

もしも多くを持つ者が

それを失うまいとし

持たざる者が

それを欲するとすれば

その何れをも不幸であると

言わざるを得ない

一日の食糧は数片のパンで十分だし

居住の空間は

数平方米で足りるからである

物の多少に幸、不幸があると考える人は

本当に不幸である

なぜなら

自分自身を含めてあらゆる物質は

やがては大切に

還元されてしまうからである


幸せな人とは

失う物がない人をいう









幾年か求めし道は遠かりし

悟りは光 我が心なり



法灯の光は消えて幾久し

初日の如く 今は輝く



巡り来る初春楽し今朝の夢

光輝く友の姿が




💫Jupiter💫



静寂の中で聞こえてくる

 
最奥からの

振るへ
オト

なにか…を
感じてますか


日々
目にする世界を
如何様に感じて
過ごしておられますか



今生での御縁繋がりますこと
お待ちしております

〇・hi ∞ mi ☽・:*