[以下引用]
― 檀信徒から僧侶まで ―
恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から付嘱(ふしょく)された。 『装束念珠』 東寺秘蔵 記子留め(露)の形が、横露になってるのが特色といえます。 前述のごとく、四天と浄明が付いていない のも特徴です。 また、なぜか緒留側の房に記子(弟子玉)が一つ不足して いるようです。 |
第二は、大師が帰国の際、憲宗皇帝から賜ったと伝えられる菩提子の念
珠で、東寺に秘蔵されています。これも二母珠、百八珠の念珠で、補処(浄明)は常の如くついていますが、記子(弟子珠)のつき方が異なっています。二十個
の記子が全部達磨の方に十個(左右の緒に五個)づつ二段に分けてつけられています。緒留の方は糸だけで記子はありません。 御室ではこの念珠が正式で、片
達磨(かたたらま)と通称しています。現在、御室派の加行の時には必ずこの片達磨の念珠(貫線は赤、房は白)を用います。晴れの法会の際に、聴衆は半装束
片達磨が正式になっています。 |
唐の皇帝より賜った菩提珠の念珠を縮小し、お使い頂き易い形にて複製致しました。 菩提実は天竺菩提を用い、茶水晶の達磨と本水晶、記子留めは純銀金具です。 |
第三は、大師が在唐のとき、憲宗皇帝より賜ったとされるものです。こ
の念珠は、高野山竜光院に宗宝として秘蔵されています。左右共、金珠(金糸状の精巧な珠)四十八珠と瑪瑙(めのう)六珠(二母珠と四天の左右にある)の五
十四珠の子珠から成り、それに瑪瑙を用いた緒留(大珠)、露(多角形)、達磨(子珠と同じ大きさ)と瑪瑙というには黄色すぎる四天と金珠(小珠)の記子と
から成っています。補処の小珠はありませんので、総数百三十八珠の念珠です。 順宗皇帝勅給との説もあり正確には不明です。 (大師は804年入唐、806年帰朝す。順宗805年即位、憲宗は806年即位) ●合掌する手に掛け、仏さまと心を通い合わせる法具であり、仏教徒にとっては忘れてはならない必需品です。 常にこれを持って仏さまを念じておれば、煩悩(ぼんのう)を消滅し、功徳(くどく)をえるといわれています。 ズズとも発音し、珠数と書いたりします、また念珠(ねんじゅ)ともいわれます。それは、念仏を唱えるとき、 一声ごとに一玉操って、何回となえたかを数えることに用いたからともいわれます。 珠の歴史は古く、お釈迦様がお生まれになる以前からあったとされています。 今から3500年以上前にできたバラモン教の聖典に登場してくる毘沙門天、弁財天、梵天は、持ち物として 連珠というものを持っていて、それが念珠の原型とされています。念珠が仏教で使われたのはそう古くは ないとも言われています。 浄土宗の法然上人などは、「身を浄め、手を洗いて、数珠を取れ」と仰しゃっているほどですし、 浄土真宗の蓮如上人は、御文章(御文)二帖目に「当山の念仏者の風情を見及ぶに、数珠の 一連をも、持つ人なし。さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり」 と書かれています。仏さまに向かうときには、数珠を手にするようにと、戒めているのです。 なお、数珠は一連、二連と数えます。 その種類は、宗派によってちがっており、七十数種類もあるそうです。 ●数珠の功徳 数珠をもつことによって、功徳があるということでは、次のような説話(言い伝え)が『もくげんじ経』に 説かれています。 『お釈迦さまが霊鷲山(りょうじゅせん)に居られたとき、ハリル国の王さまが、自分の国は小さく、辺境の 地で盗賊が絶えず出没し、疫病もはやり、人民は非常に苦しんでおります。そこで、この苦しみから救わ れるよう、自分たちにも修行のできる教えを説いてください、とお釈迦さまにお願いしました。 すると、お釈迦さまは、もくげんじの実百八個を通して環をつくり、これを常に身体からはなさず、 心から仏さまの御名[三宝(仏・法・僧)]を唱え、一つずつ繰っていきなさい。それが二十万遍になったと き、心身に乱れがなくなり、人々の心も自然と安楽になり、国家も安泰になります。さらに百万遍になった とき、人間のもつ百八の煩悩も断ち切ることができると説かれ、一つの数珠を授けられました。 王さまは、早速、木子の実で千連の数珠をつくり、六親眷属(ろくしんけんぞく)に分け与えました。 王さまも、常に数珠を手にして、仏さまの御名を誦念しましたところ、国は次第に安定し、王さま自身は 仏道を成ずることができた』 モクケンシとは、羽子板の羽根の重しになっているムクロジの実のことです。 しかし、「過去無量恒河沙の諸仏の説くところ、一百八数を念珠の量となす」と記している経典があります ので、数珠の起源は、お釈迦さまよりも古いようです。 お釈迦さまの教えが経典となって、広く世間に流布するのは、お釈迦さまが涅槃に入られてから 五百年ほど経ってからですが、その間に数珠も、数の概念や一つ一つの珠の意味づけがされ、 経典にも説かれて、仏教の法具として欠くべからざるものになっていくのです。仏教が中国から 日本に伝来したとき、数珠も一緒に入ってきました。 ●数珠の歴史 正倉院には、聖徳太子が愛用された蜻蛉玉(とんぼめ)金剛子の数珠や、聖武天皇の遺品である 水晶と琥珀の数珠二連が現存しています。すなわち、天平年間には数珠が伝えられていたことになります。 それが仏具として僧侶以外の一般の人々にも親しまれるようになったのは、鎌倉時代以降のことです。 日本に密教をもたらした弘法大師空海(九世紀に活躍)は青年僧であった時に百万遍の呪文へ 虚空蔵求聞持法を唱える修行を行い、今日でも同様の修行が高野山では行われているが、その 時には必ず呪文の数をカウントするために修行僧は数珠を持ちます。また、念仏やお題目を何度唱えた のかということが重要な場合は、珠数がカウントの機能も持つことになります。 珠数そのものは釈尊の時代からあったのですが、さらに仏教において念珠が積極的に取り入れられる ようになったのは、念仏を唱える浄土の教えや密教 (真言宗)がインドや中国で盛んになる五世紀以降に なってから、とも考えられるといいます。 念珠の日本への伝来は、百済からの仏教の伝来(552年)とほぼ同じころと思われます。 文献にはじめて見られるのは天平19年(743年)の法隆寺の資材帳に見られます。当時は船載品 として非常に貴重なもので僧侶の間でもごく一部の者しか使用されていなかったようです。このころ の遺品が、今、御物として正倉院にいくつか納められていることや、天平勝宝8年(756年)、聖武天 皇による東大寺献物帳の一部に、念珠が「国家の珍宝」として献納されていることからもわかります。 そのときの記録によると材質は、金、銀、瑪瑙、琥珀、水晶、真珠、など貴金属、宝石類でつくられて おり、まさに貴重品であったことが伺えます。 平安末期から鎌倉時代にかけて、いわゆる鎌倉新仏教が展開され、広く民衆にまで浸透し、念珠の 普及の時代ですね。各宗派ごとに使いやすいように改良され、現在各宗派で用いられている念珠の 多くはこのころに形式が作られました。 江戸時代に入ると、幕府の政策もあって仏教は栄え、念珠の需要も急増しました。 元禄年間(1688~1704年)には、一般の売買がはじめて公許されたり、念珠の解説書も現れました。 禅僧の間にわずかに使用されていた片手念珠が普及するようになったのもこのころです。 廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れていた明治の頃、曹洞宗の管長だった西有穆山 (にしありぼくさん)禅師は、馬車一台もの数珠を買ってきて、出会う人ごとに「仏教を信じなされ。 幸福を与え、身を護る数珠でござる」と、街頭伝道をしたそうです。 数珠には如意宝珠のような除災招福の神力があるとされ、持っているだけで魔除けになるのです。 数珠には、そういう功徳が備わっているのです。信濃の善光寺では今でも、ご上人が本堂に参詣 されるときの途上、道にしゃがんでいる信者たちの頭を数珠でなでる「御数珠頂戴」の行事が、行わ れています。これも数珠の功徳をいただく風習です。 ●珠の数 珠の数は、108が基本です。人間の限りない欲望と執着の量を表します。百八の煩悩です。 珠の中をつらぬいている糸は、丁度仏の心を我々の心の中に通しているわけであって、 それを円く輪にしてあるのは、心が円く、すなおになる事を意味しているのです。 数珠は、正式には108の珠を基本としていますが、現在では四半分の27玉、108にちなんで18玉など といろいろな形式になっていて、略式の数珠といわれています。 正式の数珠を二輪数珠、略式の数珠を片手数珠とか、一輪数珠ともいいます。 数珠の珠(たま)の数は、百八個が基本とされ、多いものには千八十あり、少ないものは五十四、 四十二、二十七、二十一、十四のものがあります。宗派によっては三十六玉、十八玉のものも用いております。 数珠玉のうち、房(ふさ)の付いているT字形の穴のあいている玉が親玉といわれ、これが数珠の中心です。 主玉の百八個の玉は、百八の煩悩を意味しております。菩薩の修行の過程を意味しているともいわれます。 主玉の間にある小玉や、房についている小玉など小さい玉には、四天、四菩薩、弟子玉、記子玉、など の名があり、弟子玉の下についている露型の玉は記子止(きしどめ)、露玉(つゆだま)と呼ばれ、また親玉の すぐ下、表房の一番上にある玉は浄明(じょうみょう)(浄名)といわれます。 ●数珠の形 略式の数珠は、珠の大きさによって、男性用数珠、女性用数珠、 腕輪念珠(数珠)などの種類に分かれ、どの宗派の方でも使えます。 正式の数珠の形は宗派によって違いますが、一般に使われている108個の 主玉(おもだま)と、2個の親玉(おやだま)をつなぎ、その親玉に弟子玉 (でしだま)と露玉(つゆだま)と房をつけます。 主玉の間に、やや小さい玉を4個入れますが、これを四天玉と呼びます。 この玉は、略式の数珠では2個なので、二天玉と呼びます。 真言宗で用いる数珠は、その形から振分数珠とも呼ばれ、真言宗以外でも 用いるので八宗用ともいわれます。 日蓮宗で用いる数珠は、真言宗が両方の親玉に二つずつの房があるの と違って、片方の親玉に三つの房があります。 浄土宗では、二つの輪違いのものに丸環がついている、輪違い数珠が 多く用いられます。 |
純金に細工が施されている大師御請来「いんすの念珠」
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