フィギュア 周りに流されてきた自分と決別…頂点へ 荒川 2006年2月24日(金) 17時25分 毎日新聞 国旗を片手にウイニングランをする荒川=パラベラ競技場で23日、石井諭写す  フィギュアスケート女子で金メダルを獲得した荒川は夢の中にいた。表彰式後、首から金メダルを下げながら「何が何だかわから


ず、頭の中が真っ白」な状態で、拍手の鳴りやまないリンクを回った。  起伏の激しいフィギュア人生だった。16歳で長野五輪に出場しながら、その後低迷して前回五輪は代表落ち。過去3年間の世界選手権は8位、優勝、9位。 自らの才能の大きさに振り回されてきた結果だった。  最もつらかった時期は昨シーズン。



04年3月の世界選手権で女王になり、引退のつもりだったが「次は五輪で金メダル」と期待され、その流れに逆らえずに身を任せた。「自分がどこに向 かうか見えず、気持ちが乗らないまま」で練習も中途半端。「世界チャンピオンになんかなるんじゃなかった」。結局、1年後の世界選手権は惨敗した。 「宮 城の天才少


女」と呼ばれていた10歳の時から、日本スケート連盟は英才教育を施し、大きな期待を寄せてきた。日本スケート連盟フィギュア強化部長の城田憲子監 督は「私は静香を言葉で何度も殺してきた」という。それほど厳しく叱咤(しった)激励し、才能に見合う猛練習を求めたという意味だ。  だが、他人と競うのが嫌いで


「試合で何番になりたいと考えたこともない。順位のつかないアイスショーで滑りたい」というのが荒川。一つの夢をかなえると満足してしまうから、伸 び悩みや停滞を招く。宮城・東北高時代はスケート漬けの生活を拒み「トップ選手の中で最も普通の高校生活を送ったと思う」と、ひそかに誇りにしてい る。スポーツ選手向



きの性格ではないが、能力の高さを周りは放っては置かず、そのギャップに苦しんできた。 そんな荒川が本気になった。5歳でスケート靴をはき、青春 をかけてきた競技を「気分の悪いままやめたくない。達成感を得てやめたい」と思った。シーズン前の夏場の練習はハードで「米国へ練習を見に行ったら、空気 がピリピ


リと張り詰めていた」(城田監督)。昨年12月にコーチを変え、先月にはフリーの曲を世界選手権で優勝した時の曲で「一番好き」というプッチーニ作 曲「トゥーランドット」に変更。周りに流されてきた自分と決別し、自らの意思で動いた。  この日は演技中、過去の試合の場面が何度も脳裏をよぎったという。「あそこに行


ったな、あんな試合もあったな、という感じで。この試合がスケート人生の集大成と思った」。今季限りの引退は決めている。プロになり、アイスショー で滑るつもりでいる。  普通でありたいと願った女性の波乱の物語は、この上ないハッピーエンドだった。【来住哲司】 [ 2月24日 17時25分 更新 ] 【フィギュアスケート】金



メダルの荒川「ただビックリです」女子フリープログラム 2006年02月24日 フィギュア女子シングル 日本人初の金メダルの快挙を成し遂げた荒川【 (C)Getty Images/AFLO 】  トリノ五輪のフィギュアスケートは23日、女子シングルのフリープログラム(FP)が行われ、ショートプログラム(SP)で3位につけていた荒川


静香(プリンスホテル)は、FPで125.32点をマーク。合計191.34点として、金メダル に輝いた。日本選手のフィギュアスケートでの金は初の快挙。これまではアルベールビル五輪の伊藤みどりの銀が最高だった。村主章枝(avex)はFPで 113.48点、合計175.23点としたが、4位で惜しくもメダルにとどかなかった。2位は


サーシャ・コーエン(米国)、3位は前回銀のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)だった。 ■荒川静香「まさかと思った」 ――今の気持ちは?  今はびっくりしているその一言です。言葉が出ません。  ――日本は、これまでメダルを一つも取っていなかったが、プレッシャーにはならなっかった?  わたしが取れると思わなか


ったので、プレッシャーにはなりませんでした。結果的に第一号で良かったと思います。 ――滑っているときの気持ちは?  これが五輪。滑っているのが幸せと思っていました。 ――緊張していましたか?  いつもどおりの緊張でした。 ――今日の演技の印象は?  3回転-3回転が、ダブル(2回転)になったのが悔



やまれます。コンビネーションジャンプを入れたかったので、それ以外は心地よく滑れて良かったと思います。 ――3回転-3回転ができなかったのはなぜ?  一つ目は最初から3回転-2回転でいくつもりでした。二つ目は、はずすつもりはなかったけど、(コンビネーションの一つ目を)飛んだ瞬間に「このままで は


(3回転を失敗した)ダブル判定のダブルになってしまいそう」と思って、2回転にしました。 ――金メダルが決まった瞬間は?  まさかと思いました。スケート人生の最高の舞台にしたいと思っていましたが、金に届くとは思っていませんでした。ショートプログラムを終わった時点で、 もしかしたらメダルに手が届くという気


持ちもありましたが、そうしたら硬くなってしまうので、この舞台で滑っているのが幸せだと思いながら滑りました。滑っているとき、「スケート人生で の最高の集大成になる」となんとなく感じました。 ――勝因は?  今シーズンは滑りが小さくなっていたのですが、今回はなかった。(FPの曲の)トゥーランドットが開会式で


流れて、運命を感じました。このプログラムは、スケートが楽しいと思わせてくれた曲で、(この曲の)3年目で最高のものが手に届きました。 ――メダルを掛けて、日の丸を掲げ、ウィニングランをしたときの気持ちは?  いまだに信じられないので、あのときも何がなんだか分からず(リンクを)回っていました。 ――ニコ



ライ・モロゾフコーチからはどんな指示がありましたか?  スパイラルを3秒間保つこと。何でもいいから自分の好きな言葉を、3秒間唱えろと言われました。 ――それでなんて言ってたんですか?  ワンアイスクリーム。トゥーアイスクリーム。スリーアイスクリーム(笑) ――前回の長野五輪では日本人女子が一人でし


たが?  今回は3人で、このメンバーはしっくりしています。刺激や影響を与えることのないメンバーです。 ――浅田真央は、将来のチャンピオンになると思いますか?  チャンピオンになる可能性はあります。しかし、(メダルは)才能と運が重なったときに取れるもの。頑張ってほしいと思います。 ――2004年に引退す


ると話していて、辞めなかったのはなぜですか?  世界チャンピオンになった後、迷いながら続けていた状態でした。そこから辞めるか辞めないか中途半端な状態で続けていて、満足して達成感をもって、やり たいなと思いました。続けて良かったです。続けるように言ってくれた周りの方に感謝したいと思います。 ――今


     クリックすると拡大


後は何をしたいですか?  アイスショーとかで滑って、一日でも長く誰かにスケートを見てもらえたらいいと思います。 ――世界選手権には出場しますか?  エントリーしていますので出るつもりですが、まだ今の時点では分かりません。 ――最後に一言  最高です。 ■城田憲子監督 「やっとメダルに手が届いた」


 (アルベールビル五輪銀メダルの)伊藤みどりのときは一人で戦っていて、束になって掛かれませんでした。それが、今回は3人が束になって掛かって 結果につながった。荒川は落ち着いていました。荒川、村主は、自分の 演技ができていましたね。修羅場をくぐった二人は強いです。やってきた道のりは長かった。や


っとメダルに手が届きました。 荒川の演技のときはドキドキしなかったです。最初の(トリプル)ルッツだけですかね。荒川を信じていました。彼女の ことを信じて今日の日を迎えました。 ■佐藤久美子コーチ 「こんなにハッピーでいいのかな」  すごいね。信じられないのと、私は(荒川に)いろいろできなかったので、こ


        クリックすると拡大

んなにハッピーでいいのかなと思い ます。これだけのプレッシャーですごいと思います。3回転-3回転ができなかったのはちょっと残念でした。滑らかだし、体を生かした滑りが良かった。スル ツカヤの演技は見ていました。(あのスルツカヤが失敗するなんて)やはり、五輪なんですね。  (荒川は)もともと技術的には素


晴らしい才能を持っていましたが、あきらめやすい性格でした。大人になって、うまくなりたいという欲が出てきた。(ソルトレークシティー五輪で)代表からもれて、彼女のスケートに対する見 方が変わりました。このままで終わりたくないと思ったのではないでしょうか。











ペタしてね