代官山モンスーン・カフェ・どすこい空が行くⅡ*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○

[以下引用]

将軍家の鷹狩場として
江戸時代中期、現在の目黒は「目黒筋六ヶ村」として江戸周辺の鷹狩場の一つとなっており、当時の制度や将軍来遊の記録が今もなお数多く残されている。幕府指定の鷹狩場は許可無く狩猟をすることを禁じる「禁猟区」であり、住民は将軍の来遊に関わる賦課に苦しめられていた。
将軍家の鷹狩場として

鷹の餌となる青虫を一日一升ずつ差し出すという付加税があったともされている。その上、土地の領有が幕府・増上寺・旗本などに別れ、農民の耕作地は零細で貧しかったという。

目黒の筍
目黒の農民の努力の現われとして筍の栽培があげられる。五代将軍綱吉の頃、三田四国町の薩摩屋敷から山路治朗兵衛が目黒に孟宗竹を移植したのが 「目黒の筍」のはじまりだと伝えられている。明治以降、筍の産出は増加し特産物の地位を占め、日本産物誌に「ねりま大根」「千住のねぎ」「砂村のきうり」 に並んで記されるほどであった。
目黒の筍
三田用水と水車
朝倉家が精米業をはじめたのは、三田用水の恩恵が多分にあった。「三田用水」は今の旧山手通り沿いの台地を流れており、落差が大きく、水量の多 い目黒川と共に水車架設に適した用水であった。その為、数多くの水車が造られこの地区の加工業発展の原動力となっていた。現在は、駒場の東大教養学部わき から、山手通りに沿い、三田の台地、目黒駅に至る用水路が残っている。
三田用水と水車

この用水は寛文八年に中村八郎衛門・磯野助六両人によって、玉川上水の分流として白金御殿に水を入れるために造られた。後に一時給水が途絶えた が、農民の請願によって享保九年に復活し三田用水水利組合を組織して維持するようになった。元口の水量が一定なため、分水は厳しく制限され、許可が困難で あった。最盛期には三四一本の水車が造られ三田用水の「水車がある風景」は当時の此のあたりを代表する景色であった。たが、電気が原動力となり始めた頃か ら水車は次々と廃止されていった。

住民の力
幕末以降の目黒は、のどかな田園風景とはうらはらに緊迫した状態にあった。目黒火薬製造所と住民の間でおきた紛争が発端となり、その後次々と住民の反対運動が勃発した。
住民の力

慶 應三年にはフランス陸軍の指導による「外国人大砲場」を駒場野に建設する計画が建てられ、上目黒村はじめ付近住民の反対運動によって計画が中止されたとい う事件がある。これがいわゆる「駒場野一揆」である。住民の力は明治に入っても強大化し、山手線建設反対運動なども引き起こすようになる。

猿楽塚
今や昔の姿を残すところは少なくなっている。現在では、ヒルサイドテラスE棟前に残る「猿楽塚」が生き残りの一つとして数えられるかもしれない。猿楽塚は大昔の目黒渋谷住民が苦しみ悩みを忘れるために集ったレジャーセンターとして江戸名所図会に残されている。
猿楽塚

「去我苦塚 別所台と云う地にあり。塚の高さ一丈あまりあり。相云う、昔渋谷長者某  近所の人民を語らい時として此塚の辺にて酒宴を催し歓楽せしにより、苦を去の所謂なりと云う」
(参照:目黒区史・江戸名所図会・郷土目黒・渋谷郷土特報・目黒広報)

新しい波
渋谷区誕生前夜は都市化第一波により流入した住民と先住民との関係、人口増加、財政難などで行政が混乱している状態であった。小学校教室は極度に不足し各所で二部授業・三部授業が行われ教員は三人前の授業を強いられたという。
新しい波

幸いにも、先人の努力が実り小学校建設が促進され渋谷の教育事情は面目を一新する。「猿楽小学校」はまさに義務教育窮状のさなか、地元の強い要請 を背負って誕生した小学校である。七十年の時を経た今日、優秀な先生方と立派な施設に恵まれ充実した教育の場として益々発展していることはまことに喜ばし い。

お山の大将
お山の大将
明治三十年代、代官山のあたりは人家少なく、幕末以来の政情不安とあいまって、狐狸盗賊跋扈の時代にあった。やがて日露戦争を契機として大規模な人口流入がはじまり、関東大震災がこれに拍車をかけた。
次いで、昭和三十年ごろから第二の波がこの地にやってくる。マンション、ファッション、レストランが次々とでき、代官山時代の到来となる。昭和のシンボルであった同潤会アパートが姿を消し、この界隈の様相は一変した。
いたずらに保存すれば発展は望めないが、先人の足跡から学ぶべきことは多いだろう。
今後はインターネット時代といわれる「第三の波」がやってくる。しかし、どんな波が来ようとも、ここは代官山なのだ。「猿楽塚」だってある。古い住民も勇気を持って鼓舞して唄おう。
「お山の大将俺ひとり あとから来るもの 突き落とせ」

参照:「代官山ステキガイドブック2000年版」平成十二年

「代官山考察」猿楽雑記 ー江戸近郊農家の百年ー 朝倉徳道著詳しくはこの著書御覧下さい。



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