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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』日本書紀出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索日本書紀(にほんしょき、やまとぶみ)は、日本における伝存最古の歴史書で、六国史の第一にあたる。舎人(とねり)親王らの撰で、720年(養老4年)に完成した。神代から


持統(じとう)天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全30巻、系図1巻。系図は失われた。 目次 [非表示] 1 成立過程 1.1 書名 1.2 原資料 2 編纂方針 2.1 文体・用語 2.2 紀年・暦年の構成 2.3 讖緯(しんい)の説 2.4 本文と一書 3 尊号と国風諡号 4 構成 5 現存本 6 刊行本 7 書紀講筵と書紀古訓 8 竟宴和歌 9


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外部リンク 10 関連項目 [編集] 成立過程『続日本紀』の720年(養老4年)五月条に「先是一品舎人親王奉勅修日本紀。至是功成奏上。紀三十巻系図一巻」とある。その意味は「以前から、一品舎人親王、天皇の命を受けて日本紀の編纂に当たっていたが、この度完成し、紀三十巻と系図一巻を撰上した」である。 [編


集] 書名もとの名称が『日本紀』だったとする説と、初めから『日本書紀』だったとする説がある。 『日本紀』とする説は、『続日本紀』の上記記事に「書」の文字がないことを重視する。中国では紀伝体の史書を「書」(『漢書』『後漢書』など)と呼び、帝王の治世を編年体にしたものを「紀」(『漢紀』『後漢紀』)と呼んでい


た。この用法に倣ったとすれば、『日本書紀』は「紀」にあたるものなので、『日本紀』と名づけられたと推測できる。『日本書紀』に続いて編纂された『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』がいずれも書名に「書」の文字を持たないこともこの説を支持していると言われる。この場合、「書」の字は後世に挿入されたことになる。


『日本書紀』とする説は、古写本と奈良時代・平安初期のような近い時代の史料がみな日本書紀と記していることを重視する。例えば、『弘仁私記』序、『釈日本紀』引用の「延喜講記」など。書紀が参考にした中国史書は、『漢書』『後漢書』のように全体を「書」としその一部に「紀」を持つ体裁をとる。そこでこの説の論者は、


現存する書紀は、中国の史書にあてはめると『日本書』の「紀」にあたるものとして、『日本書紀』と名づけられたと推測する。 [編集] 原資料 6世紀の中頃欽明天皇の時代に言い伝えを元にして日本の歴史をまとめた帝紀・旧辞、諸氏の伝承などを取り入れているとされる。なお、620年(推古28)に聖徳太子や蘇我馬子


によって編纂されたとされる天皇記・国記の方がより旧い史書であるが、645年(皇極4)の乙巳(いつし)の

変とともに焼失した。この後を受けて、歴史書が編纂されている。 なお


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日本書紀本文中に書名をあげて引用されている文献として次のようなものがあるが、いずれも現存していない。 『日本旧記』 『日本世記』


『伊吉連博徳書』 『難波吉士男人書』 『百済記』 『百済新撰』 『百済本記』 [編集] 編纂方針『日本書紀』の編纂は国家の大事業であり、天皇家や各氏族の歴史上での位置づけを行うという、極めて政治的な色彩の濃厚なものである。編集方針の決定や原史料の選択は、政治的に有力者が主導したものと推測されてい


る。朝廷(天武天皇とその系統)支配の正当性を歴史によって説明しようとする意図が強く働いており、ことに暦の知識のなかった時代まで編年体の輪にはめ込もうとして文章をいろいろ潤色しているので、年代が遡るほど史料としての信頼性は少ない。 しかし、歴代の学者には「一書に曰く」というような、引用文献方式


の論文形式が好意的に考えられすぎて、神道理解の中心を本居宣長出現まで担っていた。本居宣長は、「人はいろいろ言うけれど自分の目を凝らして真理を見つめなさい。」というメッセージを「古事記伝」に書きとめその後から古事記の地位が高まり、現在までもその抗争が続いている。日本書紀の書かれ方はいか


にも現代風で、多くの層が手に入る、書籍がかなりある状態で書かれたようにも見られる。一方、古事記は誰もが手軽に参照できない参考書籍や、口伝をかなり苦心してひとつの物語にしたような時代背景が感じられるというのである。 [編集] 文体・用語『日本書紀』の文体・用語など文章上の様々な特徴を分類して研


究・調査がされており、その結果によると、全三十巻のうち巻一・二の神代紀と巻二十八・二十九・三十の天武・持統紀の実録的な部分を除いた後の二十五巻は、大別して二つに分けられるといわれている。その一は、巻三の神武紀から巻十三の允恭・安康紀までであり、その二は、巻十四の雄略紀から巻二十一の用


明・崇峻紀まである。残る巻二十二・二十三の推古・舒明紀はその一に、巻二十四の皇極紀から巻二十七の天智紀まではその二に付加されるとされている。巻十三と巻十四の間、つまり雄略紀の前後に古代史の画期があったと推測されている。 ところで『日本書紀』は純漢文体であると思われてきたが、最近の研究


から語彙や語法に倭習が多くみられることが分かってきている。倭習とは、日本語的発想に基づく誤用や奇用である。和臭とも書かれる。 『紀』は、552年(欽明13)に百済の聖明王、釈迦仏像と経論を献ずる、としている。しかし「上宮聖徳法王帝説」や「元興寺縁起」は、538年(宣化3)に仏教公伝されることを伝えてお


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り、こちらが通説になっている。このように『紀』には、改変したと推測される箇所があることが、いまや研究者の間では常識となっている。 [編集] 紀年・暦年の構成暦日に関する研究は戦前に既に完成していたが、当時の状況はその研究の公表を許さず、戦後ようやく発表されたのであった。『日本書紀』は、完全な編


年体史書で、神代紀を除いたすべての記事は、年・月・日(干支)の様式で記載されている。記事のある月は、その月の一日の干支を書き、それに基づいてその記事が月の何日に当たるかを計算できるようになっている。たとえば憲法十七条の制定は「推古十二年夏四月丙寅朔戊辰(へいいんさくぼしん)」であるが、こ


れは四月一日の干支が丙寅であって、戊辰は三日であることを示している。また研究は、中国の元嘉(げんか)暦と儀鳳(ぎほう)暦の二つが用いられていることを明らかにした。神武即位前紀の甲寅(こういん)年十一月丙戌(へいじゅつ)朔から仁徳八十七年十月癸未(きび)朔までが儀鳳暦、安康紀三年八月甲申(こ


うしん)朔から天智紀六年閏十一月丁亥(ていがい)朔までが元嘉暦と一致するという。元嘉暦が古く、暦が新しいにもかかわらず、『日本書紀』は、新しい暦を古い時代に、古い暦を新しい時代に採用している。既述のように二組で撰述したと推測されている。 元嘉暦とは、中国・南朝の宋の何承天(かしょうてん)がつくっ


た暦で、元嘉二十二年(445)から施行され、百済にも日本にもかなり早く伝来したといわれている。儀鳳暦とは、唐の李淳風(りじゅんほう)がつくって高宗の麟徳(りんとく)二年(665=天智4)から用いられはじめた麟徳暦のことを指すと考えられている。 [編集] 讖緯(しんい)の説中国から伝えられた讖緯説を採用し、神


武天皇の即位を紀元前660年に当たる辛酉(かのととり、しんゆう)の年を起点として紀年を立てているという学説が、明治に那珂通世(なかみちよ)によりうちたてられ、学会で広く受け入れられている。『緯書』にある鄭玄の注にある、一元60年、二十一元1260年を一蔀とし、そのはじめの辛酉の年に国家的大革命が起


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こるとする辛酉革命の思想(参考:甲子革令/戊辰革運/辛酉革命)によるという。この思想で考えると斑鳩の地に都を置いた推古天皇九年の辛酉の年より二十一元遡った辛酉の年を第一蔀のはじめの年とし、日本の紀元を第一の革命と想定して、神武の即位をこの年に当てたのである。 [編集] 本文と一書本文の後に


注の形で「一書に曰く」として多くの異伝を書き留めている。 [編集] 尊号と国風諡号天皇の名には、天皇在世中の名である尊号と、後に贈られた和風諡号または国風諡号(しごう)とがある。十五代応神天皇から二十六代継体天皇までの名は、原則として、尊号、つまり在世中の名であると考えられている。その特徴は、


ホムタ・ハツセなどの地名、ササギなどの動物名、シラカ・ミツハなどの人体に関する語、ワカ・タケなどの素朴な称、ワケ・スクネなどの古い尊称などを要素として単純な組み合わせから成っている。 [編集] 構成


第1巻 神代 上 第2巻 神代 下 第3巻 神武天皇 第4巻 綏靖天皇 安寧天皇 懿徳天皇 孝昭天皇 孝安天

皇 孝霊天皇 孝元天皇 開化天皇 第5巻 崇神天皇 第6巻 垂仁天皇 第7巻 景行天皇 成務天皇 第8巻 仲


哀天皇 第9巻 神功皇后 第10巻 応神天皇 第11巻 仁徳天皇 第12巻 履中天皇 反正天皇 第13巻 允恭

天皇 安康天皇 第14巻 雄略天皇 第15巻 清寧天皇 顕宗天皇 仁賢天皇 第16巻 武烈天皇 第17巻 継体


天皇 第18巻 安閑天皇 宣化天皇 第19巻 欽明天皇 第20巻 敏達天皇 第21巻 用明天皇 崇峻天皇 第

22巻 推古天皇 第23巻 舒明天皇 第24巻 皇極天皇 第25巻 孝徳天皇 第26巻 斉明天皇 第27巻 天智


天皇 第28巻 天武天皇 上 第29巻 天武天皇 下 第30巻 持統天皇 [編集] 現存本



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