みなさん
はじめまして
こんにちわグービックリマーク

僕は
現在宅浪をしている
18才の者ですニコニコ

宅浪といっても
一教科だけ四谷学院で
授業を受けてますキラキラ

出身高校は
大磯高校でパー
一応進学校みたいですが
今年は早慶
いないみたいですしょぼんあせる

自分のいとこが
早稲田の出身
なんですがニコニコあせる

一人っ子の僕は
いとこといつも
比べられドンッ

半ば馬鹿にされて
育ってきましたガーン

それでも
女手一つで
(祖母もいますがニコニコ笑)
育ててくれた母に

将来は
親孝行したくて
浪人を決意しましたグー

母子家庭なので
あまり裕福では
ありませんあせる

なので
予備校も一教科だけ
という始末なのですにひひ

僕の人生は
本当におもしろいん
ですよニコニコ


5歳で
両親が離婚しましたドンッ

新しく転校した
小学校では一年ぐらい
いじめを
受けたりしましたドンッ

勉強は嫌いで
スポーツもできなく
みんなが僕を
からかいましたガーン

そこで
たまたま野球と出会い
いきなり
リトルリーグの
門を叩きましたグー

しかし
レギュラーを取れず
チームメイトから嫌われ
一年と少しで引退ガーン

でも
プロ選手になりたくて
中学にあがるまで
毎日自主練グーあせる

その甲斐あってか
僕の練習姿を見ていた
クラブチームの
監督から声がかかり
入団ビックリマーク

一年生から
レギュラー入りを
させてもらい
自分の代では
副キャプテンまで
やらせて頂きましたにひひ

小学生の時からしたらパー
考えられない
出世でした得意げ

しかし、
2年の秋あたりから
キャプテンが
病気で練習に
出なくなりガーン

すべての
チームの責任が
僕に押しつけられ、

練習の度に
監督、コーチから
殴られたり
バットで叩かれたりあせる

僕の体は3ヶ月も
持ちませんでしたガーン

あえなく
2年の冬に引退ドンッ

そこから
やることもなく
しばらく考えたところ
勉強しかありません
でしたガーン

プロ野球選手の
夢が途絶えてしまった今

何ができるか?
勉強しかありません
でしたニコニコ

当時僕の成績は
下から数えた方が早くパー

中学一年の内申は
23/45でしたガーン

これは提出物だけ
出しての結果ですショック!

テストは
ほとんど100点満点で
20点代でしたガーン

しかし
野球に費やした情熱を
全て勉強にそそぎグー

3年の時には
42/45まで
飛躍しましたニコニコビックリマーク

そしてなんとか
前期選抜で
大磯高校に
入学することが
できたのですキラキラ

でもまだ
試練は残っていましたガーン

友達が
ひとりもできない…

僕は3日間
校庭の隅の倉庫の裏で
お弁当を食べましたガーン

どうにかして
友達を作りたくて
ラグビー部に
入部しましたビックリマーク

そこから日々精進し
部長にまで
なれたのですニコニコ

友達もたくさんできグー
漫才コンビを
組んだりしましたニコニコ
彼女もできました得意げラブラブ

ただひとつ
気がかりだった…

僕は母のために
何もできていない汗

そこで
せこせこ勉強を始め
母に土下座して
東進ハイスクールに
通わしてもらいましたグー

家にお金がないのは
知ってました汗

父は生きていますが
僕の高校入学と共に
精神病を患い
働けなくなる体に
なっていたので
とにかくお金が
ありませんでしたガーン

しかし祖母が
自分の年金を削ってまで
予備校に通わせて
くれましたニコニコ

毎日予備校に通いグー
夜は毎日11時に
帰宅していましたビックリマーク

受験の直前期
成績が伸び悩む僕は
久しぶりに母と
ゆっくり話をしましたにひひ

すると母は
祖母には言うなと
僕に重い口を
開きました汗

実は
別れた父には借金があり
それを返す為に
仕事を掛け持ち
していると…

昼間は
保育士として働き
夜は工場で
働いているとのこと

僕は母に
父に自己破産するよう
説得しましたが

借りたお金は
返すのが筋との
一点張りでしたドンッ

しかも母は僕に
浪人してくれた方が
有り難いと言うのです汗

僕は悩みましたが
只でさえ気落ち
していた僕。

そのあと
全く勉強せず
どの大学の試験も
受けませんでした汗

そして
今の僕がありますにひひあせる

苦労した人が
最高の幸福をつかむ
権利がある人である―

とのある偉人の
言葉を信じ

これからも
頑張るつもりですビックリマーク

長くなりましたが
みなさん
よろしくお願いしますキラキラ