はたしてこの記事を見てくれている方は何人いるやら。
そもそも存在するのやらといったところですが、近況報告もかねて一筆。
大学に入学してからはや二年が経とうとしています。
もう、恐ろしく、悲しく、時の流れが早く感じます。
近況報告としては、順当に授業も受けつつ、適当に遊んで、と。
とりたてて問題もなく三年生へと進むような感じです。
ただ、将来の展望を少し。
どこかで逃げてしまわないように文字として残しておくことにします。
今のところは、大学院に進学しよう、と。
フランス語を全力で勉強して、フランスに留学がしたい。
アカデミックな分野に少しでも長くいて、研究職につきたいと思ってます。
文系の大学院って、正直なところ相当なギャンブルみたいなもんで、
一歩間違えたら職も何も得られないようなクズに落ちぶれてしまうかもしれないような世界
ただ、やってみたい、と。
それだけです。
逃げないように。
順当に就職する人たちは、来年から所謂就職活動を始めるみたいです。
余談ですが、最近大学にしろ何にしろ、「就職活動のために○○をする」
といった風潮がものすごく、うっとうしくて仕方ない。
ばかばかしいにもほどがあるのでは。
有り体に行ってしまえば手段の目的化が学問的な領域に蔓延ってしまっているわけで、
まあ就職難やらなんやら騒がれているのも含めれば仕方のないことなのかな、と思えなくもないのですが。
それにしても、知というものがどこか横滑りを起こしているような感じはなかなか不愉快なもので、
例えば「英語」一つとってみても、中学、高校を通して教えられるのは「英語で何かを勉強する」のではなく、「英語」を勉強すること。
浅田彰の言を借りるならば、哲学から法学への文系主流の変遷
これの何がいけないのか、という問いに対しては、
「英語」を例に借りると、
ただ、「大学に入る」という目的のためだけに英語を勉強した人がいる。
ここにおける英語学習がどこか灰色で何の味気もないように思われることは自明であるとして、
果たして大学に入った後、その英語はどうなるのか、と。
莫大な時間をかけ、ただマークを塗りつぶすだけの莫迦でもできるくだらない試験のために学び、
学ぶというよりは覚え、その先に果たして「試験の結果」という瞬時に何の意味も有さない「数の羅列」と化してしまうもの以外に何があるのか。
ただ広い砂漠、アパシー、究極的な茫然自失
自らが積み重ねてきたものが無力であると知り、大きな砂漠のようなものに直面した時、
果たしてどれだけの人がそこに立ち向かうのか、と。
決して皮肉ではないが、多くの人はアパシーへと陥る。
何も考えず、四年間を過ごす。
砂漠をさまようようにただ茫然自失とキャンパスに立ち尽くす。
純粋に知を楽しむこと、
時にそこから乖離し、手段的な知にも適応すること。
飽く迄持論ですが、忘れないように、
ではまた。