鬱病診断五日目。
上司との対談。
何故なったか、何故なぜ、なぜ?
知らんよ。
かんがえたくない。
顔見てダイジョブだと思った?
しらん。
かんがえたくない。
その後。会社の今後の話。
しらんって。かんがえたくない。
でも。会社きらいではない。
休ませてくれることに感謝、
でも、いつからか。分からんことに不安。
周りは辞めろ辞めろ。
こんな状況でこんな環境だけど。
本当は辞めたくない。
辞めたくないのか、ほんとはわからない。
冷静と情熱の間で廃人となるのも。
自分の責任。
とはいえ、これ以上に。生命的困窮や、より高い責任を負ってる方々に比べて自分の小ささに呆れ返る。
全ての不幸や幸福を、均等に配分できたら。どういうバランスになるのか。
人それぞれの価値観の中、何をどういう風にとらえ、一方では、幸福を、一方では、不幸をかんじるのだろう。
今現在。ぼくは、主観的に不幸である。しかしながら、客観的には、幸福、或いは平凡であると思う。
不幸の定義とはなんであろうか?
すなわち、自己陶酔である。
人はそれぞれに、価値観を持ち、価値観と対象として幸福論をもつ。かつ、理想像と共に反比例としての、叶えやすい拒否像がある。
拒否像の実現が、反比例として、自己実現となり、非常にアンバランスな立ち位置として自己を主軸とした、人間関係を構築するのではないか。
人間関係とは、他者との関係性の結果であり、結果の中で、とはいえ、中心に自己を置くこととなる。
続きは、どれだけ、気乗りで