復活しなければ・・・・・・・・・・・・・・


母が亡くなり、なかなか現実を受け入れられない自分がいて


もう、2年が経ってしまった




介護という仕事をしながら


母のことを思い出す事は多く


おまけに、母そっくりの利用者さんもいたりして




亡くなった時は、涙も出なかった


2年経った今 何故か ふと涙が出る


母は、こんな私をどう思ってるかな




いろんなことで悩むたびに母を思い出す


母に相談らしい相談をしたことはほとんどない


そして、思い出すのはどっちかといえば


元気な頃の母で


元気な頃の母って


私が中学までしか一緒にいなかったから


そんな遠い昔の母


今の私より若い頃の母




母ならどうしただろうか・・・・・・・・・


不自由な体で、精一杯生き抜いた母に恥じることない


そんな生き方をしたい



が・・・・・・・



うじうじ ぐちゅぐちゅ 悩む


怒られそうだけどこれが私




そう、よく怒られそうだけど


怒らなかった母


短気で、直ぐ怒るのに


怒ってる母の印象の方が強いのに




悩んでる時 何も言わないのに


必ず


「何かあったんか・・・・・?」って母


必ず


「何もないよ・・・・・」って私





元気に生きてるんだから


頑張らないとね






間違われた(≧▽≦)


BMXの指導を娘に受けながら、一緒に乗ってた時


女子大生3人が傍に来て


「姉妹ですか?よく似てますね」って


娘・・・・・固まって、言葉が出ないようで


私 「あはっ・・・親子なんですよ!!」


みたいな~~~(^∇^)




今日はとっても暖かく、2時間近く楽しんで帰った


夜勤明けで、疲れてたけど


好きなこと…楽しいことをしていると


すっきり感の方が強いんだな~な~んて思いながら帰宅




家に帰ると、現実が・・・・・・・


どんな現実って


大変な現実


そう・・・・・・・どうすれば良い?


どうすれば良いか分からない


そんな時は、ひたすら勉強するしかない


さて、頑張るとしよう




そんな今 たった今 


次女が

 

「正直に生きなさい!す~さん正直に生きなさい」


などと私に言いやがる ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ 




まぁ、そのうちね


そのうち、正直に生きるさ





今年、初のブログ更新


慌ただしく、毎日を過ごしてる感じ




介護支援専門員の実務研修も、3回受けた


やっぱり、コミュニケーション苦手・・・


しっかりと、復習もしたいけど、なかなかできてない




年末から、結局ユニットリーダーを受けてしまって


自分の首を絞めてしまっている


2ヶ月ちょっと経つが、つくづく自分に不似合いなポジションと


痛感するも 今さらどうしようもない




未経験・介護について未学習の新卒で入った


19歳の新人の指導のおまけ付き




そして、自分の指導力のなさと


ここでもコミュニケーション能力のなさを感じる


ユニット内は、指導についてゴタゴタ状態


指導の仕方についても、勉強中で、家に帰っても


自分なりに資料を作ってみたりと試行錯誤しながら


読み返しては、長い過ぎ?必要?理解できる?など考えると


時間ってあっという間に過ぎてしまう


介護を知らない娘に、出来あがった資料を読んで貰って


意見を求めたりしながら



新人職員の意識も、確かに低く

ん・・・低いのかな?分からないだけ?それすら把握できていない自分


他の職員のストレスとなっているのも分かる


でも、その新人職員に合った指導仕方をしないと


きっと、潰れてしまう



普通に指導してダメなら、それはそれで仕方ないの?かな?


2年前の私なら、そう思ってたかも・・・いや、きっと思ってた


ちょっと、変化のある自分にも気付いてみたり



このタイミングで・・・何で、と思ってしまうけど


とにかく ・・・ とにかくだ


やれることを、精一杯してみるしかない



もう、今年も一月終わってしまった


指導すること ・・・ これも、学びの一環


お互い、潰れてしまわないよう 細く長く


今年1年を、19歳職員と、共に学び共に成長できる1年にしようと思っている


常に前を向いていこう


あ~  めっちゃ、言い聞かせてるやん・・・





合格!!!!!


ケアマネ試験


合格しても、研修があるみたいです


取り合えず、研修受けてみます





娘が、頑張っているBMX




大会を立て続けに見に行って


とうとう、始めてしまいました


遅出で帰って夜な夜な練習してました


足には、青アザが沢山あります


骨折だけはしないように注意しなきゃです


師匠は、娘です


明後日は、師匠と一緒に練習する約束をしています


私がBMXを始めたことを、娘がとっても喜んでくれています


早く、技を決めれるようになりたいな~




職場の人間関係が、またまたしんどくなってきて


本来の、自分の仕事ってなんだろう


そう、自分に問いかける




そして、自分の反省すべき点を受け止め


前進する為の新たな、行動計画を立ててみた




今、解決が難しそうなこと


気が乗らないことで、急がないことは


今はあえてやらないでおこう


できそうなことだけを、あげていく


できそうなことを、確実にやっていくうちに


今はできないことも、数ヶ月後にはできるかも知れない


今は解って貰えないことも


数ヶ月後には理解して貰えるかも知れない




やり方を間違った自分にも気付き


こうな風に、考えられるようになってきた自分にも気付いた


少し、元気が出てきたかも~


さぁ、何日続くだろうか ・・・・・・





ケアマネ試験まで・・・


後、4日です




なかなか、思うようには仕上がりませんでした


でも、後4日あります


勿論、勤務もありますが


頑張りたいと思います




眠れないのでもう少しやって寝るとしよう!!

無事、3泊4日の帰郷を終えました


母は、体調を崩すことなくどちらかと言えば元気でした


とは言え、時々ちょっとしたことでイライラしていたので


母なりに我慢していたのか、不安があったのか


母の3つの目的を果たして、帰って来ました


ちなみに、4日間とも雨の長崎でした




初日は、14時前に着いたのですが、飛行機がしんどかったようで


そのままホテルにチェックインして、ゆっくり過ごしました


夕ご飯の時、サプライズで母の誕生会をしました


ホテルの方が、ちょこちょこ参加して下さり


家族では出せない、母の喜んだ顔を見ることができました




2日目、1つ目の目的 小雨の降る中、家族みんなでお墓参りしました


その後、2つ目の目的、母が慕っているおばちゃん(80歳)に


みんなで会いにいきました




おばちゃんも、とても喜んでくれて、私も嬉し過ぎて別れ際に


おばさんに、抱きついてしまいました


人生初でした…自分から人に抱きつくなんて


心から感謝の気持ちと、嬉しさで思わず・・・


何とも、笑いの耐えない賑やかな時間を過ごしました




その帰り、14時母は人工透析へ


透析も、現地で問題なく終えました




3日目、最終目的、母の小学生の時の恩師(88歳)に会いに行きました


当時先生は、20代半ばで、私が聞きてもそんな若い先生が


よくそこまでしてくれたと言う話を沢山聞いています


先生は、とてもお元気で60年以上経っても会いに来てくれることを


とても喜んで下さいました


母の子供の頃の話も聞くことができました


1時間半程して母を迎えに行き、母にとっては



予定終了  ・・・  目標達成!!



母の体力を考えて、余分に1泊とってたのですが


母は、予定終了と共に、帰るモード


その後は、駄々っ子状態で、帰りの飛行機の時間を変更して


翌日、早めに帰ってきました




おばちゃんにも、先生にも別れ際に、


『元気にして、また会いに来て』 と言われ


『もう、最後かなって思って来たけど、また来るよ』って


『飛行機はしんどいから、今度はフェリーで来るわ』って


言ってました


フェリーか ・・・ 



そ~だ、早く写真プリントして送らなければ


いよいよ、明日になりました


故郷の地で、母と兄弟4人…家族5人が揃うのは、私が、14歳とか13歳以来となります


母一人で、4人の子供を育てたので、姉妹3人は


中学卒業と共に、他県の全寮制の定時制高校に行ったので、姉が出て


帰省で何度か帰って来て以来です




母の体調は、どうにかこの日まで持ってくれました


本当に、良かったです




しかし、私の体腸が・・・・泣


ここへきて、潰瘍性大腸炎…再燃です


交通機関が怖いです




初日の明日、墓参りの予定でしたが、地元は雨です


雨女の私 


明日も姉に 『流石やっぱり、外さないね!』って言われることでしょう!




母にとって、元気の元となるような帰郷になるよう


みんなで楽しんで来たいと思います


2月は、とても穏やかに笑う表情もとても良い母でした


ストレスの原因を一つ一つ、改善できることをやっての


母の変わりように、私達にとっては小さなことでも


母にとっては、大きな大きなストレスだったんだと実感


一番のストレスは、施設から透析を受けに出て


戻っての食事の準備を、自分1人分だけして貰うこと

だったようです


今は、透析の日は、姉が昼食を持って面会に行っています


夜間の巡視、朝の起床の声掛けも今は中止して貰っています




3月末、久しぶりの母との再会の前々日



姉から、電話がありました


5週間前に姉の家で、母と妹に会って以来の電話でした


放射線治療中に腫れた、頬の腫れが、骨髄炎によるものだったこと 


施設でノロウィルスに感染し、1週間入院していたこと


そして3月上旬の定期健診で再発の可能性大でMRIの結果


既に、3cmの腫瘍があること


放射線治療はもうできず、化学療法をしても2割~4割しか効果の


可能性しかなく、透析だけでも大変な状態に


体力的に無理ではないかと言われたこと


姉、兄、妹ともに、もう、このまま治療は望まないということ


治療しなかった場合の余命  6ヶ月~1年 ということ


私の意見を聞きたいということでした





治療をするには、母に再発の事実を伝えなければなりません


放射線治療中の母の様子を思い出すと


とても、受け入れられるとも思えません


私の答えも、3人と同じでした


また明後日来るまでに、気持ちが変わったら教えてと電話を切りました




先日会った母はとても元気で、今までで一番良い表情をしていました


いつも、透析を終えた土曜日の夕方、姉のマンションに外泊します


そこに、妹と私が合流する形です


私は、日曜月曜の連休でいつも帰っていました


土曜の夜から、月曜の夕方まで、ずっと一緒に居れるわけですが


姉と妹は、月曜の朝には仕事に行きます


月曜の午前中は、私と母の2人きりです




前日、母の長年住んでいたアパートの近所の人に会いたい


と言うことで、みんなで一緒に行きました


近所の人も、とても喜んで下さり、母もホッとしていました


帰りに、母の好きなチャンポン麺を食べて帰りました


来年といっていた、長崎への帰郷もこの6月に変更して


話が進んでいます


『みんなして、よーしてくれるからお母さん怖い・・・何か隠してないか?』


会話の切れ目で、3回も言われました 『ほんとに、隠してないか?』


その度に、笑ってとぼける私ですが・・・何とも、敏感な母です


だから、透析後の食事を持って来て貰うのに、少しでも


介護士が、忙しそうに表情を変えようなら


それが、気になってストレスになってしまうのです


『お母さん、好きな物食べて好きな事して死にたい』 と話す


不安半分、でも、まさか・・・


『このまま元気でありますように』 と、手を合わす母




施設へは、車椅子を押して、久宝寺緑地を通り


満開の桜の下で、休憩をして戻りました


満開の桜の下で、『きれいやな~。良い日に来れてサイコー!』


と、母は何度も言って喜んでくれました


来年、母と一緒に桜を見ることができないかも知れない


そう頭をよぎるが、私自身、余命宣告を受け入れられていない


そんな自分に気付きます




6月まで急変することなく、帰郷できることを願います


今の母の目標は 『元気に五島へ帰る』


それを、楽しみにしているから




何とも忙しい一年でした


この前、年が明けたと思ったら…もう3月半ばって…


ブログも放置し放題です(汗)




自分なりに成長できた1年だったと思っています


周りの人達に恵まれ、色んな気付きを頂きました


利用者さんへの接し方も、変ったような気がします




昔のブログを少し読み返していたのですが


その時のことが思い出され、随分利用者さんの状態は


変わっておられ、こんな元気だったんだ…と


一緒に歌をうたうことを恥ずかしいといっていた利用者さん


今は、時々覚醒状態が良ければ、一緒に歌をうたっています


認知症が進み、ただ、つられて歌う感じです


今は、恥ずかしいとか、歌いたいとか、歌いたくないとか


そんなことではなく、分かることが少なくなって


会話になることも更に減ってきています


娘さんが、分からない時の方が多くなりました




将棋が好きな利用者さんも、体調を崩して


今、2週間ほど将棋を触ることもできていない状態です


今週末、97歳の誕生日を迎えます




母のこととダブらせながら、今何を考え何を求めておられるのか


忙しい中でも、やっと、考えられるようになりました


やれること、時間も限られていますが


してあげれないことが沢山あっても、その中で利用者さんへの


心配りだけは忘れず、毎日が穏やかな気持ちで過ごせるように


不快な雑音、不快な関りとならないように、心を込めて


少し心弾む時間だったり、少し安心できる時間だったり、


少し楽しい時間 … まずは、そんな身近で良いのではないかと


やっと思えるようになりました




今思うと、何を焦っていたのか


何をしたかったのか


ゆっくり関る時間は、結局いつまで経っても作れず


そんな毎日の中で、スタッフのストレスまで利用者さんに感じ取られ


それこそ、『施設での生活』をただただ、実感させてしまっていたと気付く


施設だけど、我が家…自分の居場所そんな気持ち


そして、いつも傍にいるのは職員だけど


身近な大切な人…そして、ちょっと関っても


笑顔がこぼれるような安心出来る存在


それを、目指して頑張りたいと思います