目の前に小坊主さんがカタカナだらけの紙を持ち、ご住職の後に続けてお経を唱えた

それだけ見れば、孫がお盆のお経をお手伝いしているように見える

小坊主さん…今年小学5年生

彼が幼稚園の年少さんの時、父親…ご住職の息子はバイクの事故で亡くなった

鳥取県の人気のない国道沿いでスリップして電信柱に頭部をぶつけて即死だった

まだ33ぐらいだったはず

若ぼんがそろそろ跡取りとして、大きな法要も手がけるようになり、住職もやっと引退ですわ

って言ってた矢先だった


お葬式の時、この子が跡取りとして形になるまで、私は死んでも死にきれない

って涙をこらえて挨拶していたご住職を思い出す

今日もちょっと早いんやけど、見せとかないと時間が無いんで連れてますって話された


幼稚園の頃からお寺を継ぐことを強いられて、可愛そうに思うが、お経を唱え、檀家の心を癒やすことが努めだと理解して育ってほしいって思った



いつの間にか勝手に年齢だけはへる
どうせへるなら体重減ればよいのに(自爆)

十代の頃は早く大人に成りたかった

ただ勉強が嫌だったかもしれないが

望み通り二十歳になって働き始めた時

人生学歴と育ち、地縁がものをいうのかぁ

って思うことばかりだった

努力したら報われるって神話じゃねぇの

って世の中斜めに見るようになる


要は一段と疑いの眼で相手を眺めている

私は蛇かw


そんな私が息子を産んでかれこれ17年と半年


色んな苦しみや悲しみがあったとしても、あとを託せるものをもてたことが一番幸せだろうなぁ

って思う


母が意識のあった時、アホでもちょんでもあんた産んでて良かった、あと託せるからっていったから


息子の心の中に
こうるさいけどカァチャン大好きって思う気持ちが根付いてるといいなぁ


そんな息子が

お母さんってAB型やのに自己チューやし、几帳面ちがうし、気ままやし難儀な性格やでって笑われた

外では几帳面やし、自己チューちがうし、家だけやん

っていうか、私が我が家のhandbookですわよ

お~ほほほw


50までラスト一年
陽気に気ままに自分勝手生きますわw

メール、メッセージありがとうございました(*^-^*)



※49年前も暑い1日でした、岸和田市城近くの産婦人科で産まれました、祭りの練習の太鼓や笛の音を生まれてすぐにきいているので、今でも血が騒ぐんでしょうね、男に生まれてたら絶対岸和田離れんかったやろうなぁ…ひとりごとひとりごと
こどもがおとなになり
またそのこどもがおとなになり

……けれどもこどもたちはおとなにたずねるでしょう

だれが…どうして?


八月がくるたびに

の表紙の裏に書かれている言葉です


毎年八月になると思い出す一冊の本です

同じ頃

二人のイーダ

も読んだ

たぶん小学三年生頃

二つとも原爆の話

あ~はだしのゲンもその頃読んだ

10歳前後に読んだ本が
39年経っても色あせないで重苦しい空気までも思い出す


八月がくるたびにのあとがきに

すでに日本の初等・中等の教科書などから、原爆に関する記述はどんどん削られ、ほんの一、二行の事実指摘が残るだけになりつつあります

とある
1971年の段階で


原爆のこと
原発のこと

色々思った

8月6日 合掌