ひとりごと | masaaki Suzukiのブログ

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2011年3月11日に発令された『原子力緊急事態宣言』は2021年現在も解除されておらず、今後100年は無理。大手メディアは政権とグル。
この基本が理解出来ないと言ってる事はわからない。

最近、人生についていろいろ考えるようになった。

人類史上最悪な原発事故が自分が生きている間に起こるとは夢にも思わなかった。
今でもたまにこれは現実ではなく、夢をみてるのではないかとふっと思う事がある。
しかしこの原発事故がきっかけでいろいろ考えるようになった。

振り返ってみれば人より優位に立ちたいと言う競争社会の洗脳を受け、育ってきたように思う。
かなりお気楽に自分の好きなように生きてきた。

中学時代はバイクに夢中になり、無免でおやじの車を勝手に乗り事故をおこしたり、高校時代は学校をさぼってパチンコ屋に行ったり、友達の新車のバイクで車と正面衝突して死にかけた。
事故を見ていた誰もが即死だと思った程で友達の400ccのバイクはその日に廃車となった。
特に母親には家裁に行ってもらったりと散々迷惑をかけてきた。
社会人になってからはバイクはやめ車に夢中になった。
ポルシェの空冷エンジンRRに憧れ20代後半に911を手に入れ納得が行くまで改造して週末はサーキットで走ったり、波乗りしたり自分の好きなように生きてきた。
恥ずかしい話しだが原発や社会の事など考えた事もなかった。

しかし人類史上最悪な福島第一原発事故で自分の価値観も一変した。
大切なのはお金や物ではなく人に対しての思いやりだと言う事にようやく気がついた。
それはお金目的ではなく何のみかえりもなくただ子供達の将来を憂いて活動されているすばらしい方々に教えて頂いた。
2011年の春に一晩悩んで今までの仕事から180度転換して今の仕事を選んだが3年経過しても赤字は解消してないが決して後悔はしていない。
心ある方々から助けて頂き感謝の気持ちのほうがはるかに強い。
今は車は走ればなんでもいいし、お金が人の優劣を決めるものでない事にも気がついた。
人生の価値観がまったく変わった。

何十年も波乗りに一緒に行っていた仲間はほぼ全員、まだ千葉や茨城の海に入っている。
会えば放射能の危険性について話しをするので自然と近ずかなくなった。
原発事故後に出会った人たちは本当にすばらしい人ばかりだ。
子供達に未来がない国の繁栄はありえない。
自分さえよければいい大人が多すぎる。
負の遺産を子供達に残してまで金儲けしたいのか。
今の政治家や官僚のようにくずばかりではなく心ある方が大勢いる事にも気がつけた事は良かったと思う。

事故がきっかけでいろいろ自分なりに調べるようになり、欺瞞に満ちた世の中の事を考えるようになった。
人類が遭遇した事ない最悪の原発事故で死の灰が降り注ぎそれでも高濃度汚染地区に住む人を避難させるどころかまだ収束のメドすら立ってないのに人々をまた戻し更には再稼働など常識では考えられない事を平然と明言するのは何故なのか。
放射能を防御するどころか汚染瓦礫を全国に拡散し故意に被害を拡大させるのは何故なのか。

マスコミは故意的に他国からの侵略の危険性を報道するが日本全国に50基もの原発が残っており
そのほとんどが海に面した位置にある国に他国からの防衛もへったくれもない。
ミサイルでは原発を破壊出来ないと豪語しているが電源を喪失させられただけで取り返しのつかない事態になる事はフクイチの事故が実証している。
真実を報道しないのは何故なのか。
事実を認めれば国に潰れるからだ。
海洋汚染の賠償だけでも、とても払いきれない。
核武装しなければ自国の防衛が出来ないと狂った事を言う奴もいるが、もんじゅや六ヶ所村に
既に人類を滅亡させる事が出来るくらいのプルトニウムなどの人類史上最悪の物質をいやと言うほど持っている。
本気で防衛したければもんじゅや六ヶ所村に爆弾をしかけてボタン一つでいつでも破壊出来るようにしたら万が一、他国が攻めて来た時にボタン一つで全世界を滅亡させる事が出来るだろう。
極論だが現状では本気で防衛するにはそれしか道はない。
そうすれば他国からの侵略を受けずにすむが、狂った人間が権力を持ったら終わりだ。
だから自国の防衛を本気で考えるならまずは原発をなくす事だ。
もし、たった一人の狂った人間により原発を破壊させられたら人類滅亡もあり得ない事ではない。

人類の歴史は戦争の歴史、いつの世でも戦争はなくならない。
原発がなくならない理由は核弾頭の寿命が5年だからかもしれない。
核弾頭を作るのに必要なプルトニウムを常に作らなければ核武装出来ない。
だから原発をやめられない。
他国との緊張を高めて武器を売る武器商人と原子力村の住民は変わらない。
放射能汚染を認めない政府は命を守ってくれないどころかその責任も認めない事は
過去の水俣病などの事例から明らかだ。

時間の経過と共に被害が拡大して行き、今まったく他人ごとにしか考えてない人たちもいやでも思い知る。
何も知らずに静かに死んでいくほうがあるいは幸せなのかもしれない。
戦争と原発のない世の中にしなければ人類の平和は永遠に来ない。