四聖諦の苦諦の一切苦について考えてみた...

 "一切苦”と言われると、生きること全てが苦しい事かと考えてしまうがそれは解釈が間違っていたのか...

例えば今日福ちゃんラーメンを食べたのだが、すごく美味しくてすごい幸せだったww

 それは、快楽、快感での幸せであろう。

 それは煩悩を満たした状態であるからであり現代の物質主義、物質文明の時代とブッダの生きていた時代とは違うのであるから、その一切苦の解釈も変える必要があるのではないか。通常では一切苦が和らいでいるのが現代世界であるがやはり四苦八苦からは逃れられず基本は一切苦であることには変わりない。という考えはある意味、人間存在とはを一切苦が前提となるのであろう。

 その苦は”迷妄の世界”現世の話であり、悟りの道を歩めばその一切苦から離れることができる。

 特に今というaiの登場により人間存在の意味づけが根本から変わる時代、全く先の見えない時代にはまた仏教思想もそれに比例してリンクして柔軟に変わるべきというより変えるべきだと思うのだがまた私の思想の志向はまさにそこにある。

 

未完成