「貴種」という優越感を得るため貴族社会で作られた呼称
「貴種」
その使用が確認できる最古の例
827年7月10日付
太政官符中に引用された
都腹赤(みやこの はらか)という人物の
牒(公文書)の中で
「須(すべから)らく文章生(書学生)は
良家の子弟から取るべし」
という820年の新規定を批判し
「高才は必ずしも貴種ではないし、
貴種は必ずしも高才ではない」
と記し撤回を求めたもの
1200年前にこう声を上げた政治家もいるのにね
結局、世襲を尊ぶ風潮と利権が
今でも続いてしまっている近代
820年の規定には「良家」とは
三位以上もしくは公卿のことを指すとしており
「貴種」もその人々を指したと考えられる
899年 右大臣に任じられることになった菅原道真公は
これを「辞退」申し入れた際、
自らを「貴種」ではなく
「儒林(学識者)」の家である
と、辞退の理由に挙げたという。
ただ道真の父・是善は従三位に昇っているため、
前述の都腹赤の牒に従えば「貴種」に相当する
そのため
同時に左大臣となった藤原時平に対する謙遜の意味も
含んでいたと考えられている。とか。
後に雷公、菅公、天神(天満大自在天神)として
恐れられることになる菅原道真公は、
この時は藤原を差し置いて
上位の官職を得るなど、
後の災禍の方が大きいと
先見の明で読んだのだろう
事実その通りになってしまう😠💢
道真は879年
太皇太后正子内親王に関する服喪について
内親王に対し「貴種」という表現を使っている
王臣家に対し広く使われていた可能性もあるという
その後しばらくは文書中には見られなくなり
11世紀後半になると再び、
公卿の日記に用いられるほど
貴族社会で一般化されていった。
ただこの時代の「貴種」は
公卿の子孫でかつ将来的にも
公卿を輩出可能な家の出身者に
限られていたようで、
藤原でも「受領」「諸大夫」格に
没落した家系に対しては用いられていない
「貴種」概念の成立は
摂関政治の確立に端を発する
特定の家系による要職の独占に端を発し、
1070年代頃「貴種」と
そうではない家が固定化された
とWikipediaへ記事を書かれた方が考察されている。
当時は「貴種」↔︎「凡種」
貴族社会でも身分の低い「受領」や「実務官僚出身者」に使われた。
背中に八咫烏
『神話の子』にもちょい出ししてます
我が家の式神🐱 日月(ヒヅキ)
伸び上がると背中に飛翔するかのように
羽々たく八咫烏の姿が浮かび上がる💕✨
初めて気づいたのは5年前😍
まるまっている時には現れない
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出演ちゅ😻💕
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